高松商伝統の「志摩供養」 三塁手の石丸「伝統を受け継げたことは僕の人生の誇り」

[ 2019年8月10日 05:40 ]

第101回全国高校野球選手権 1回戦   高松商4―6鶴岡東 ( 2019年8月9日    甲子園 )

高松商伝統の「志摩供養」をする石丸(撮影・木村 揚輔)
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 時代は令和になっても、変わらない光景があった。高松商―鶴岡東の試合前、高松商の石丸圭佑三塁手(3年)は三塁ベースの横にひざまずき、手をそっとベースに乗せて祈った。「志摩供養」と呼ばれる高松商の伝統儀式だ。

 1924年(大正13)の第1回選抜大会優勝時の三塁手で、同年冬に「俺が死んでも魂は残って三塁を守る」と言い残して病死した志摩定一さんの遺志を継ぐため、30年代に始まった。以前は三塁手が口に含んだ水をナインが囲むベースに吹きかけ“さあ行こう”と声をかけ守備位置へ向かっていた。一時、中断されていたが2016年の選抜に20年ぶりに出場したのを機に、姿を変えて復活している。

 石丸は「県大会ではやっていないんですが、甲子園に来たらたくさんのOBも見に来られる。僕も伝統を受け継ぐ意志というか、サードを守りきるんだという思いでやりました」と話した。

 試合の均衡を破ったのは石丸だった。2回2死二、三塁でスライダーを捉え、三遊間を破る適時打。

 「後ろに飛倉も大塚も、いい打者がいっぱいいる。僕の実力じゃきれいに打ち返すことはできない。食らいついていく気持ちでした」

 くしくも、勝敗を決したのは三塁ベースだった。2―0の5回に1点を返され、なおも2死満塁。丸山の三ゴロは、捕球しようと待ち構える石丸の目前で大きく弾かれた。2者が生還し逆転。4点を追う9回の反撃も及ばなかった。

 石丸は敗戦にも前を向く。

 「最後に甲子園で終われたことは幸せです。僕だけではなく、これまでサードを守ってこられた方はみんな、そんな気持ちでされていたんだと身が引き締まる。伝統を受け継げたことは、僕の人生の誇りです」

 大正、昭和、平成に続き、令和でも出場を果たした古豪。100年を超える高松商野球部の歴史に、伝統はしっかりと根付いていた。

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2019年8月10日のニュース