浪人時代に震災経験した上原 地震きっかけに距離縮まり…記者の地元に義援金100万円

[ 2019年5月21日 08:17 ]

担当記者が見た上原の優しさと雑草魂

引退会見で花束を手にする上原(撮影・尾崎 有希)
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 初めて取材したのは15年前の04年。巨人のエースと、プロ野球担当1年目の記者。まともに話すまで1年ほどかかった。

 04年10月23日。記者の地元で新潟中越地震が起きた。地震発生数日後、ジャイアンツ球場の旧室内練習場で話しかけたのが、大阪出身の上原に認識されるきっかけとなった。大学入学前、工事現場の警備員など数々のアルバイトをしながら、上原は浪人生活を送っていた。それが95年だった。阪神大震災について聞くと「早く(実家に)帰ってあげなよ」と案じてくれて、数日後、記者の地元に100万円の義援金を送ってくれていた。

 担当を離れた後、米国でも取材する機会があった。ヤンキース入りした田中の取材で14年から2年間、メジャー担当だった。2月のフロリダキャンプでは田中の休養日に片道約200キロ、2時間ほど車を飛ばして練習を見に行った。大した会話もできなかった。この日の会見で口にしたように原動力は「負けたくないという反骨心」。片手間のような取材は許さない。その気持ちもよく分かっていた。誰よりも走り込む姿を遠くから見るだけで十分だった。

 今年2月末、キャンプ地・宮崎で見たのが最後のユニホーム姿だった。19歳の浪人時代の気持ちが込められた背番号19で、変わらず誰よりも走っていた。(春川英樹 04~06、11~13、16年 巨人担当)

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