異色の漫画家 藤子不二雄Aさん死去 88歳 描いた人生の奥深さ

[ 2022年4月8日 05:30 ]

「怪物くん」の色紙を手にする藤子不二雄Aさん
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 日本を代表する漫画家で「オバケのQ太郎」「怪物くん」などで知られる藤子不二雄A(ふじこ・ふじお・えー、本名安孫子素雄=あびこ・もとお)さんが7日、急死した。午前8時40分ごろ、川崎市内の自宅で1人で倒れているところを発見され、死亡が確認された。死因は不明。88歳。富山県出身。藤子・F・不二雄(本名藤本弘)さん(96年死去)との共同ペンネーム「藤子不二雄」として活躍。最近まで元気だっただけに、関係者に衝撃が走った。

7日午前8時40分ごろ、神奈川県警多摩署に「藤子Aさんの自宅敷地内で男性が倒れている」と通報があった。警察官が駆け付け、現場で死亡を確認した。死因は不明で、県警が死亡した状況を調べている。目立った外傷はないという。死去は午後1時前に報じられ、事務所の藤子スタジオは午後6時すぎに訃報を発表。「応援いただいた読者の皆さま、関係者の皆さまに深く感謝申し上げます」とコメントを寄せた。

 偉大な漫画家の急逝を受け、自宅前には多くの報道陣が集まった。弔問に訪れたゴルフ仲間の田中菊雄さん(87)は「3月中旬に一緒にゴルフをしたばかり」と絶句。「腰が悪いと言っていたが、25日のコンペにも出る予定だった」と話した。生家である富山県氷見市の光禅寺では、親族の女性が「3月下旬に(おいの)住職がお経を上げに出向いた際は元気だったのに」と驚いた。

 70代後半まで大病の経験はなかったが、12年に大腸がん、13年に腸閉塞を患うなど、晩年は病魔と闘った。80歳を過ぎても連載を続けたが、15年に心不全を患って以降は漫画を描いていなかった。

 小学5年時に氷見市から同県高岡市に引っ越し、クラスメートの藤子・Fさんと出会った。ともに手塚治虫さんに憧れて漫画家を志し、雑誌へ投稿を続ける日々。当時から共作しており、高校時代の51年に毎日小学生新聞の連載「天使の玉ちゃん」でデビューした。

 52年に富山新聞社に入社。記者をしていたが、藤子・Fさんに漫画家の道に誘われ上京。多くの漫画家が住んだ東京都豊島区のトキワ荘に住み、仲間と漫画づくりに没頭した。64年に週刊少年サンデーで連載が始まった共作「オバケのQ太郎」が大ヒット。初めてアニメ化もされた。共作はこれが最後で、藤子Aさんは「忍者ハットリくん」「怪物くん」、藤子・Fさんは「ドラえもん」「パーマン」などの作品を生み出した。

 その後、藤子Aさんはブラックユーモアを扱い、人間の暗部に迫る作品を多く手がけた。自身がいじめられっ子だった影響で、いじめられる少年が主人公の「魔太郎がくる!!」では「うらみはらさでおくべきか」の決めぜりふで復讐(ふくしゅう)する姿を描いた。「笑ゥせぇるすまん」では人間の弱さや愚かさに焦点を当てた。

 87年に藤子・Fさんの提案を受け、コンビを解消。作風の違いから、読者を混乱させることを防ぐためだった。大のゴルフ好きで、映画にも強い興味を持っていた。90年にプロデュースした「少年時代」では、多数の映画賞を受賞した。

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2022年4月8日のニュース