日常を楽しみ生まれた藤子A作品 憧れの師・手塚治虫先生超えるためお酒を、ゴルフを、人を愛した

[ 2022年4月8日 05:30 ]

藤子不二雄Aさん
Photo By スポニチ

 藤子不二雄Aさんは、日常の中にオバケや怪物といったファンタジー要素を織り交ぜる作品のパイオニアだった。藤子・Fさんとの合作「オバケのQ太郎」が大ヒットしたあとも、「怪物くん」「忍者ハットリくん」など異世界のキャラクターが活躍する少年漫画で読者の心をつかんだ。

 その源泉には、憧れていた手塚治虫さんの存在があった。本紙の取材に「(SF漫画が代名詞の)手塚先生と同じような漫画を描いても抜くことはできない。だから日常生活や一般家庭の風景を取り入れようと。それで生まれたのが“Q太郎”だった」と明かしていた。

 小学生の頃はすぐ顔が赤くなって「電熱器」と呼ばれるほどシャイな性格。それが2年間の新聞記者生活で「知らない人に出会って話すことの面白さに目覚めた」という。
 人付き合いが苦手な漫画家も多い中、社交的な性格で知られた。銀座や六本木など夜の街で飲み歩き、1軒40分ほどで移動。自身の名字から「はしごの安孫子」との異名も。飲み仲間となった女優の宮沢りえ(49)とは年齢差を気にせず「りえちゃん」「あびちゃん」と呼び合う間柄だった。

 大のゴルフ好きで、石ノ森章太郎、赤塚不二夫両氏ら漫画家仲間8人と「イージー会(いい爺=じい=会)」を主宰。74年に連載が始まった「プロゴルファー猿」は「おそらく日本で初めてのゴルフ漫画」(ちばてつや氏)となった。1人でもよくゴルフ場に足を運び人間観察をした。

 「笑ゥせぇるすまん」の主人公、喪黒福造のモデルは遊び仲間の大橋巨泉さん(享年82)。「いろんな人と付き合って体験したことが漫画に生かされた」。喪黒の“餌食”になる中年サラリーマンらの欲と業をリアルに描き、大人の読者の共感を得た。
 タイトルを決めてから主人公を作り込んでいくスタイル。「怪物くん」は連載開始1カ月前の告知で、後ろ姿だけのイラストを掲載した。「実は怪物くんの顔がまだ決まっていなかった」と苦肉の策だったという。

 72年に発表した「魔太郎がくる!!」はいじめに遭った人が恨みを晴らす物語。当時はいじめが社会問題になる前。いじめられっ子の視点から描いたのは珍しかったが、自分が読みたい漫画を描くという信条が反映されていた。

続きを表示

この記事のフォト

2022年4月8日のニュース