桂文枝 “新婚さん”名物・イスから転げる芸の誕生秘話披露、相棒への感謝も 勇退会見・一問一答

[ 2022年1月8日 05:00 ]

50年以上に及ぶ「新婚さんいらっしゃい!」の思い出を語る桂文枝(撮影・北條 貴史)
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 《桂文枝 「新婚さんいらっしゃい!」勇退発表会見の一問一答》

 文枝 昨年7月16日に78歳になって、若い新婚さんカップルの話を聞くのはいかがなものかと思い始めました。

 1月末で(番組放送開始から)51年。私が27歳だった当時、ディレクターだった沢田隆治さんから「1月から3月までやってくれ」と言われた。ボクのギャグの「いらっしゃい」を使わせてくれと。それからもうちょっと、もうちょっとと50年も長く、ここまでやらせていただきました。その澤田さんが昨年お亡くなりになった。この辺が潮時かと。卒業させていただこうと(朝日放送に)お願いした。50年も使っていただいた朝日放送さんには感謝の言葉しかありません。(言葉を詰まらせ、涙声で)ありがとうございました。

 ―卒業を決めたのは
 マッチングアプリとかで知り合うカップルが多い。名前は知ってるが、システムがどうかなど分かりにくくなってきた。

 こけるのも1万回以上。最近、自分の体を気遣うようになって、ちょっとこける回数も控えてきた。元気でどこも悪くないが。新婚さんはこけると喜んでくださる。本当はもっとこけたいんだが。オミクロンでお客さんを入れられるか分かりませんが。残り少なくなってきましたが、意識してこけ倒します。

 ―長く続けられた理由
 今までオンエアを1回も見たことがないんです。番組は毎回面白かった。毎回、面白い人を探してきてくれた。毎回退屈しなかった。次の週の新婚さんが来て、前の週の新婚さんのことを忘れた。日本中から探してきた新婚さんと出会えたことで続いたと思う。

 ―「いらっしゃい」は代名詞だが今後は?
 ギャグを使っていただきありがたい思いです。後継者の方には、自由にやっていただければ。ボクのギャグが(タイトルに)残るだけで、ありがたい、嬉しい思い出いっぱいです。

 ―「いらっしゃい」をやったキッカケ
 「アジャパパー」「無茶苦茶でござりまする」など、芸人がギャグで人気者になった。いろいろ調べて、書き出して。売れたい、売れたいという気持ちで。驚きの言葉がヒットしていた。「オヨヨ」もそう。だが、(舞台に)出てすぐにギャグでつかめれば早いので「いらっしゃい」にした。ギャグになって広まった。

 ―仁鶴さんの「笑百科」も終わるようだが
 師匠がお亡くなりになったのは残念でならない。ただ、大阪の番組に限らず、始まったら、終わるんです。重なる部分はあるけど、それに関係なく終わらせていただく。
 
 ―転げ落ちてきた愛用のイスはどうなる?
 次の司会者がどなたかは分からないが、このまま使っていただけるなら使ってもらえれば。いらないなら引き取って家宝にしたい。まず、母の仏前に供えたい(笑い)。

 ―アシスタント陣との思い出は?
 それぞれにたくさんあります。特に同い年の梓みちよさんにはよくしていただいた。向こうのほうが有名でした。恩人だと思ってます。

 ―いつ頃から転げ落ちだした?
 覚えていない。新婚さんは素人さん。芸人さんだったら頭を叩いたり、怒るようにツッコめるが。ツッコむ代わりに、ひっくり返った。

 ―現アシスタントの山瀬さんに報告は?
 山瀬さんは携帯電話を持ってないので、放送局のほうから。ただ、チラッとは言ってました。(三枝の愛ラブ!)爆笑クリニックから一緒で、長く付き合いました。いい相棒でした。私がお酒を飲めないから、山瀬さんにお酒を飲んでいただいて。感謝しかありません。

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2022年1月8日のニュース