シドニー・ポワチエ氏が死去 94歳 「夜の大捜査線」で名演 黒人俳優のパイオニア

[ 2022年1月8日 08:58 ]

2009年、当時のオバマ大統領から自由勲章を授かったポワティエ氏(AP)
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 アカデミー賞で黒人として初めて主演男優賞を受賞するなど、黒人俳優の先駆けとして活躍したシドニー・ポワチエさんが6日、米ロサンゼルスの自宅で死去。94歳だった。

 ポワチエさんは、1927年2月20日、米南部フロリダ州マイアミで7人きょうだいの末っ子として誕生。もともと両親はバハマ諸島のキャット島で農業を営んでいたが、野菜を売るためにたまたまマイアミを訪れていたときに、母エブリンさんが予定より2カ月早く出産したという経緯があるために米国とバハマの国籍を持っていた。

 10歳のときにキャット島からプロビデンス島にあるバハマの首都ナッソーに移住。そこで初めて自動車を目にし、さらに電気のある生活を経験することになった。このとき感動したもののひとつが映画。そして15歳で兄の家族いるマイアミに送られ、16歳でニューヨークで皿洗いの仕事をするようになった。そのとき店にいたウエイターに新聞を読むことを教わり、英語を学んだとされている。第二次世界大戦では年齢を偽って陸軍に従軍。復員軍人の病院に配属されたが、そこで戦争でのトラウマを抱えた患者に対するひどい扱いを目にして激怒したという逸話が残っている。

 戦後はまだ社会的に認知されていなかった黒人演劇協会に入ったが、音痴であることとバハマの訛りがあったことからなかなか役をもらえず、発音修正の訓練をこなすという日々を送っていた。

 1950年に「NO WAY OUT」という舞台で医者の役をもらい、これが評価されて俳優としての道を駆け上がっていく。1963年の映画「野のユリ」で荒れ地で教会建設に打ち込む黒人青年役を演じ、黒人として初めてアカデミー賞の主演男優賞を受賞。その後、黒人差別の撤廃を求めた公民権運動が続く中、多くの映画に出演し、1967年に公開された「夜の大捜査線(In the Heat of the Night)」では、黒人差別の激しい南部でおきた殺人事件の捜査にあたる敏腕刑事を演じ、この映画はアカデミー賞の作品賞、主演男優賞(ロッド・スタイガー)、脚色賞、音響賞、編集賞を受賞して日本でも人気を博した。

 私生活では1950年に結婚したフアニータ・ハーディーさん(65年に離婚)との間に4人の子ども、1976年に再婚したカナダ出身の女優ジョアンナ・シムカスさんとの間に2人の子どもがいて、そのうちの1人でもあるシドニー・タミーア・ポアチエ(48)は女優。2019年に84歳で死去した女優で歌手のダイアン・キャロルさんとは1959年から69年まで内縁関係にあった。

 黒人俳優の先駆けとして活躍を続けたことで2009年には当時のオバマ大統領から民間人に与えられる最高の栄誉である「自由勲章」を受賞。同じ黒人として人気俳優となったデンゼル・ワシントン(67)は「彼を友人と呼べたことは私の特権だった。彼は長い間、閉ざされていた扉をこじ開けた」とその“偉業”を称える声明を発表。オバマ元大統領も「私たちに親近感を抱かせる映画を通して、人間の尊厳と品位を示してくれた」とその功績を称えた。

 このほかジョー・バイデン大統領(79)、ハリー・べラフォンテ(94)、オプラ・ウィンフリー(67)、モーガン・フリーマン(84)、バーバラ・ストライザンド(79)、ウーピー・ゴールドバーク(66)といった著名人がSNSなどでポワティエ氏を追悼。人種差別の壁をぶち破った偉大の俳優の死を悼んでいた。

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