大竹省二さんの作品に文字通り彩りを与えたカラーフィルム

[ 2021年9月13日 12:29 ]

大竹省二さんの写真展のポスター広告
Photo By スポニチ

 【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】展示されている美しいカラー写真の数々に思わず吸い寄せられた。東京・六本木の地下通路で見かけたポスター広告に心引かれて足を運んだフジフイルム・スクエア・写真歴史博物館。開催中の「大竹省二 カラー写真が夢見た時代」に心奪われた。

 2015年7月2日に95年の生涯を閉じた大竹さん。日本を代表する名カメラマンは、戦後まもなくカラーフィルムに可能性を見いだし、新しい時代の訪れに夢を抱いた人でもあった。今回の企画は、没後6年を経て、大竹省二事務所のアーカイブ構築作業の中から再発見された作品など約30点を展示したものという。

 佐久間良子、鰐淵晴子、浜美枝といった女優たち。大竹さんは東京新聞社が発行した「週刊東京」の表紙も1955年から3年間手掛け、その中から北原三枝の写真が登場する。言うまでも無く、のちに石原裕次郎さんと結ばれる石原まき子さんだ。56年1月19号。黎明期のカラー作品が現代の技術で鮮やかに再現されていた。

 大竹さんが86歳の時に取材する機会に恵まれた。2007年の春のこと。多彩なジャンルで活躍する人、団体、作品をスポニチが友情と共感を込めて顕彰する「スポニチ文化芸術大賞」がきっかけを作ってくれた。

 大竹さんと放送作家の永六輔さん(当時74)の共著「赤坂檜町テキサスハウス」(朝日新聞社)が優秀賞に内定。その報を持って大竹さんの事務所に足を運んだ。

 同書は03年から05年に写真雑誌「アサヒカメラ」に連載された読み物を1冊にまとめたもの。戦後、乃木神社のそばに軍で働く米国の民間人用に木造の2階建てアパートが建てられた。トイレ・バス付きで、当時としては最先端を行く建物だ。

 もともとは花岡アパートといい、落語家の春風亭小朝(66)の祖父が建て、父が大家さん。ここに住み始めた住人たちが1950年6月に始まった朝鮮戦争で日本を離れる。共著「赤坂檜町テキサスハウス」は、その後に引っ越してきたそうそうたる面々の日常を大竹さんの写真と永さんの文章で鮮やかに切り取ってみせた。
 ちなみに放送作家のキノトールさん、医師のドクトル・チエコさん夫妻、放送作家の三木鮎郎さん、女優の草笛光子さんらが越してきたという。1953年に移り住んだ大竹さんは「戦災を免れた乃木神社一帯はまるで共同租界。そこに出来たアパートに戦後日本の芸能文化に携わる人たちのエネルギーが図らずも集中したような感じでしたね」と、まるできのうのことのように熱く語った。

 戦後、GHQ(連合国軍総司令部)広報部の宣伝中隊嘱託として採用された大竹さんがカラーフィルムと出合うのは早かった。50年代半ばには雑誌の表紙も手掛けるなど大活躍。テキサスハウスに住み始めた頃が本格的に腕をふるい始めた時期と重なる。写真展の背景に、そんなヒストリーも垣間見えて感慨深い。写真展は10月19日まで。

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2021年9月13日のニュース