侍・稲葉監督インタビュー(2) 28年LA、32年ブリスベンでの五輪野球競技復活へ「熱」必要

[ 2021年8月17日 06:02 ]

質問に身ぶり手ぶりを交え、答える稲葉監督(撮影・木村 揚輔)
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 東京五輪で公開競技だった84年ロサンゼルス以来37年ぶり、正式競技では初の金メダルを獲得した侍ジャパンの稲葉篤紀監督(49)が就任以降では節目の本紙10回目のインタビューに応じた。優勝一夜明けに届いた長嶋茂雄氏(85=巨人終身名誉監督)からの祝福の電話、批判にも屈しなかった当時の心境、4年間連れ添ったコーチ陣への感謝など大役を果たした今だからこそ話せる胸の内を吐露した。(聞き手・後藤 茂樹)

 ――ターニングポイントになった試合は?

 「初戦のドミニカ共和国戦で2点差をひっくり返したのは、一つ大きなきっかけだったかなと思っています。プレミア12の前の強化試合、カナダ戦の第1戦目(19年10月31日)で2回に6点取られまして。0―6の状態で試合が進む中、我々は1点ずつこつこつ返していった。結局5―6で負けてしまったんですが、大量ビハインドでもこつこつやっていけば接戦に持ち込めるんだと。選手というよりも、首脳陣の中でこういう野球をやっていこうというものができた。実際にプレミア12でも逆転勝ちが多かった。そうしてオリンピックの初戦で2点差を9回に逆転勝ちして、終盤の最後の最後まで何が起こるか分からないというのを、首脳陣も選手もあの初戦で感じたと思うんです。負けていても、どこかでひっくり返せるチャンスがあるんじゃないか。粘りというものがチームの中に出てきたと思います」

 ――4日の準決勝・韓国戦の5回、坂本選手が自ら「バントしましょうか?」と言ってきたと。選手たちが自主性を発揮した大会でした。

 「準々決勝の米国戦(2日)のサヨナラ勝ちの場面も。拓也(甲斐)がネクストから打席に入る間に“監督、打っていいですか?”と言ってきて。“打っていいよ!”と返しました。そうしてライトオーバーのサヨナラ打を打つのですが。あのケースは米国が内野を5人にして、内野ゴロもしくはスクイズ、セーフティスクイズと警戒してきた中で。拓也の中で初球から頭の整理をしたかったのでしょう。金子ヘッドコーチと“打たせましょうか?内野5人になったし、作戦難しいですよね”と話している間に、拓也が“打っていいですか?”と言うので。こっちの踏ん切りもついたのかなと」

 ――野手はプレミア12のメンバーが多く、監督の考えも理解した中で動いてくれる場面が多かった。

 「壮亮(源田)もね、1打席(決勝・米国戦、8回1死一、二塁で投前犠打)しかなかったんですけど。本当なら打ちたいところを、セーフティー気味にバントしてくれたり。勝つために何をしなければいけないのか、本当に分かってくれていたメンバーだと思います」

 ――決勝は平均視聴率37%。日に日に注目を集めていきました。

 「無観客でどれぐらいの方たちが見てくださっているのか、正直分からなくて。試合翌日に視聴率が出る。どんどん数字が上がっていくの見て、野球を見てくれている方たちはこれだけ多い、影響力はあると感じました。無観客でもテレビの前のみなさまと一緒に金メダルの喜びを分かち合いたいとずっと言ってきましたが、それが本当にできて。応援してくれている方たちに少しでも恩返しができたのかなとも思います」

 ――今後につなげて、野球の競技人口を増やすために大事になことは?

 「選手は力があるので発信をしていってほしいですかね。野球の面白さ、難しさ、野球を通じてどういうことを学んでいけるのかと」

 ――代表チームはコロナ禍の影響で次の目標が明確にはなっていないが、侍ジャパンはどんな存在であってほしいですか?

 「本当に次、どこで何年にどの大会をやるのかまだ決まっていない状態ですが。子供たちが最終的にはやはりトップチームで世界と戦いたい、となってくれればうれしいです。コロナも落ち着いた中で年代別の大会が行われ、そういう世の中に戻ってくれればいいなと思います」

 ――24年パリ五輪では野球競技がなくなる。28年ロサンゼルス、32年ブリスベンの五輪での復活へ、この金メダルを一つのきっかけにしたい?

 「そうですね、日本だけが盛り上がってもオリンピックに関してはダメだと思っていて。世界にどうやって野球を普及させるか。米国や野球をやっている国が本当に連携をして。オリンピック競技への追加を訴えていく必要があるのかなと思います。私にはそんな力はないので。熱と言いますかね、そういうものをこれから世界に向けていろいろやっていく必要はあるのかなと思います」

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2021年8月17日のニュース