侍・稲葉監督インタビュー(1)「このチームでもうちょっと戦いたかった」「感謝を忘れずにと伝えた」

[ 2021年8月17日 06:01 ]

記者の質問に真剣な表情で答える稲葉監督(撮影・木村 揚輔)
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 東京五輪で公開競技だった84年ロサンゼルス以来37年ぶり、正式競技では初の金メダルを獲得した侍ジャパンの稲葉篤紀監督(49)が就任以降では節目の本紙10回目のインタビューに応じた。優勝一夜明けに届いた長嶋茂雄氏(85=巨人終身名誉監督)からの祝福の電話、批判にも屈しなかった当時の心境、4年間連れ添ったコーチ陣への感謝など大役を果たした今だからこそ話せる胸の内を吐露した。(聞き手・後藤 茂樹)

 ――悲願の優勝から約1週間が経ちました。現在の心境は?

 「プレミア12で優勝した時は勝った喜びはありましたが、オリンピックがあるなという頭でずっといた。今回の優勝は、もうやり遂げたという自分の中での一つの区切りでもある。緊張感から解き放たれて、ホッとしている部分が大きいです」

 ――金メダルを獲ったことを実感した場面などありましたか?
 「家に帰って家族と少しゆっくりする時間をいただきました。買い物に行った時も周りの方たちから“おめでとうございます”という声をたくさんいただいた。皆さんに見ていただけたのかなと、非常にうれしかったですね」

 ――実感もわいてきましたか?

 「まだ実感、と言われるとそうでもなくて。いつ実感がわくんだろうとずっと思っているんですけど。選手たちはシーズンがまた始まりましたから。私だけ余韻に浸るというのもどうなのかなという思いもあり、多分そういう気持ちもあるのかもしれないですね」

 ――ご家族からのお祝いは?

 「お赤飯を炊いてくれたり、ケーキもくれて、お祝いしてもらいました。上の男の子は小学校1年生ですが、試合も夜遅くまで見てくれていたようで。行く前に“金メダル”と“頑張ってね”と書かれたうちわを子供からもらって。球場にずっと持って行ってました。帰ってから見せて“これのおかげで勝てたよ”と伝えたら、大変喜んでいました」

 ――ご自宅には日本ハム、北京五輪、09年WBCのユニホーム3着を飾られてると以前に伺いました。今回のユニホームは?

 「今はハンガーで玄関にかけているんですけども。もっときれいに飾りたいなと考えている途中で。はい、飾ろうとは思っています」

 ――北京のユニホームは、メダルを逃して4位という悔しさを忘れないために飾っていたとも伺ったが。

 「いいことばかりではなく、失敗や悔しい思いをして人は成長できると思っています。もちろん北京のリベンジ、借りは返せたとは思うんですけども。やはりこの気持ちは持ち続けなくてはいけないのかなと。常に向上心を持ってやっていきたいですし。そういう意味でも、北京のユニホームもずっと飾っておこうかなと思っています」

 ――優勝翌日の解散の時の心境は?

 「寂しい気持ちもあったんですが、選手たちは恐らく解放されたいという気持ちもあったと思いますし。選手たちの喜びの表情と、ちょっとホッとした表情と。そういう顔を見て本当に良かったと思いましたが、このチームでもうちょっと戦いたかったな、という思いもありましたね」

 ――青柳選手は決勝の前日に、稲葉監督から「この経験を下の世代に語り継いでいってほしい」と言われたと話しています。今後継承していくことが大事?

 「チームスポーツの良さですね。一つになって戦っていくチームが、やはりいいチームになっていく。そういうものを経験も踏まえて、いろんな人に伝えていってほしいなと思います」

 ――他の選手たちにも同様の話をされたのですか?

 「あの決勝前日の練習日に、何人かの選手がいたので。スグル(岩崎)もいたし、由伸(山本)もいたのかな。ヤギ(青柳)もいたし、そういうお話をさせていただきました」

 ――最後に選手たちに伝えたことは?

 「感謝の気持ちです。選手はこのオリンピックのために目いっぱいやってくれました。あとは裏方さんや、トレーナーの方、スタッフの方、打撃投手やブルペン捕手の方であったりにしっかりと感謝を伝えて。いろんな方たちの支えがあって野球ができているという感謝を忘れずに、という話はさせていただきました」

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2021年8月17日のニュース