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セレッソ大阪 サクラ咲ケ

西尾隆矢 阪神・金本選手に憧れ〝二刀流〟だった少年時代

[ 2021年10月19日 15:38 ]

C大阪・西尾隆矢

 C大阪の選手やスタッフが思いを語る連載「サクラ咲ケ」の第21回は、育成組織出身のDF西尾隆矢(20)。プロ2年目ながら開幕スタメンをつかみ、センターバックとして試合に出続けている。大阪府八尾市で生まれ育ち、野球少年で“アニキ好き”だった過去などを明かした。

 自分自身にとっての今季は、人生の分岐点といえます。J1の舞台でチャンスをもらって、毎試合のように凄く良い経験ができている。最初は“少しずつ試合に絡めたら”という思いだった。それがキャンプでセンターバックにケガ人が多くなって、コロナ禍でチアゴ選手も来られない状況になって。ただ、あまり緊張しないタイプなので、スタメンを聞いた時は「そっか、俺か」みたいな感じでした。

 サッカーを始めたのは小学1年の冬。5歳上のお兄ちゃんがサッカースクールに通っていて、その送り迎えについて行っていたら興味が出てきた。でも、僕自身は野球も凄く好きで。住んでいる近くに野球のクラブチームがなかったから、学校のクラブでずっと野球をやっていました。両親も、どちらかというと野球をやることを勧めていたぐらい。阪神ファンで、金本知憲選手が好きでしたね。

 サッカーも野球も両方をやっていた小学6年の時に、セレッソから練習会に来てほしいと言われました。ただ、自分はスポーツを見るよりもやるのが好きで、セレッソ大阪の存在を全く知らなかった。お父さんから“凄いチームの下部組織やぞ”って教えられて行ってみたら、もうレベルが違いすぎた。本当にビックリしたけど“強いチームでやれるチャンスがあるならやってみよう”と思って、そこでサッカー一本になりました。

 当時、歩夢(瀬古)や陽(喜田)がいた一学年上は“黄金世代”と呼ばれていた。本当にレベルが高かったけど、中学2年の途中から一緒の試合に出させてもらえるようになった。全国大会で優勝したりして自分の存在も知ってもらえるようになり、その時に初めて年代別代表に呼ばれました。

 高校に進学してすぐに腰椎分離症になって、当時は本当にしんどかった。でも、あの時に自分の体を見つめ直したり体のケアの重要性に気づいたことが、確実に今につながっています。30日に控えているのが、ルヴァン杯の決勝。僕自身、ずっとセレッソでお世話になってきて、タイトルを獲ることがクラブに貢献できることなのかなと思う。優勝して、セレッソ大阪というクラブをもっとみんなに知ってもらえるようにしたいです。 (C大阪DF)

 ◆西尾 隆矢(にしお・りゅうや)2001年(平13)5月16日生まれ、大阪府八尾市出身の20歳。ステイクールFC(現FCグラシオン)からC大阪U―15に進み、同U―18を経て20年にトップ昇格。昨季はU―23チームでJ3に25試合出場。今季はJ1で第32節を終えた時点で25試合出場1得点。1メートル80、77キロ。利き足は右。

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