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セレッソ大阪 サクラ咲ケ

FW山田寛人 U-15代表に初招集された時に気づいた「自分に足りないもの」 本当に大きな経験だった

[ 2021年11月16日 05:30 ]

山田寛人(Jリーグフォト提供)
Photo By 提供写真

 C大阪の選手やスタッフが思いを語る連載「サクラ咲ケ」の第22回は、FW山田寛人(21)。クラブの育成組織で育ち、小菊体制になってからは主力として最前線で存在感を示している。自身の転機などを振り返った。

 8月以降、徐々に試合に絡めるようになってきました。前半戦の自分は、全く何もしていなかった。キャンプの時から主力組から外れていて、最初の印象が良くなかったんだと思う。“厳しいな”というのは、ずっと思っていました。

 監督が小菊さんになって、最初の試合の前日に“使うぞ”と声をかけてもらった。期待を感じたし、素直にうれしかった。以前はサイドのポジションもやっていたけど、今、使ってもらっているのはFW。自分はFWの選手なんだと再認識できたし、やっぱり楽しい。だからこそ、もっと期待に応えないといけない。

 サッカー人生を振り返ると、いろんな転機がありました。中学に上がるタイミングで、ホペイロ刈谷(現刈谷JY)というチームに入ったこと。中学3年の時に、愛知を離れてセレッソのユースへと行くと決めたこと。また、その頃にU―15日本代表に初めて選んでもらえたことも大きかったです。

 当時の主なメンバーが、今もチームメートの歩夢(瀬古)や陽(喜田)、鈴木冬一(ローザンヌ)、久保建英(マジョルカ)、菅原由勢(AZ)、中村敬斗(リンツ)、谷晃生(湘南)、宮代大聖(徳島)、小林友希(神戸)、平川怜(松本山雅)。前の選手が凄すぎて、最初は「サッカーを辞めたい」とずっと思っていました。

 うまかったのは建英や平川。2人は誰が見ても凄かったし、同じFWなら、宮代とか、今は国士舘大にいる棚橋尭士も凄かった。でも、だんだんと慣れてきて、年代が上がっても継続して呼ばれた。自分に足りないものを代表で気づかせてもらったし、本当に大きな経験でした。

 一緒にやっていた選手が活躍していて刺激がある。建英みたいに、あそこまでいくと遠すぎるけど(笑い)。あの年齢で本当に凄いし、いつかまた一緒にプレーできたらいいなと思っています。

 今年も残り少なくなったけど、まずはリーグ戦で何としてでもゴールを取りたい。チームとしては1桁順位という目標があるし、それと天皇杯。ルヴァン杯で悔しい思いをしたので、みんなで優勝したいです。 (C大阪FW)

 ◇山田 寛人(やまだ・ひろと)2000年(平12)3月7日生まれ、愛知県名古屋市出身の21歳。愛知FCからホペイロ刈谷を経てC大阪U―18に入り、18年にトップ昇格。琉球、仙台への期限付き移籍を経て昨オフに復帰。今季のリーグ戦は12試合出場0得点。1メートル83、76キロ。利き足は右。

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