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セレッソ大阪 サクラ咲ケ

幼稚園から下部組織所属の喜田陽 小菊新体制ではキーマンのボランチに 恩返しは結果で!

[ 2021年9月21日 05:30 ]

C大阪・喜田(撮影・後藤 大輝)
Photo By スポニチ

 C大阪の選手やスタッフが思いを語る連載「サクラ咲ケ」の第20回は、小菊体制になって存在感を示しているMF喜田陽(21)。幼稚園の年長から育成組織で育ってきた生え抜きのボランチが、歩んできた道のりや今後の目標などを明かした。

 最近、少しずつ試合に絡めるようになってきました。監督が代わって最初に先発で起用してもらったのが、ルヴァン杯準々決勝第1戦のG大阪戦。ダービーで、しかも試合では久しぶりのボランチ。不安はあったけど、ここで自分がいい評価をもらえればチャンスが広がると、気持ちは高ぶっていました。

 レヴィー(・クルピ監督)さんの時はサイドバックの選手が少なくて、サイドバックをやっていました。でも、小菊監督になって練習からボランチをやるようになって“来るな”と。ずっと本職でやってきたポジションだし、チームを動かせる。難しさはあるけど、楽しくやれています。

 自分は幼稚園の年長の時にセレッソのスクールに入って、小3の時にU―12のセレクションの案内が来た。それに受かって、小4から入りました。歩夢(瀬古)と一緒で、1学年上に中島元彦や池田昌生(湘南)。2学年上には舩木翔(現J2相模原)がいて、全国的に見ても選手がそろっていたと思います。

 実は、小学生の頃はGKをやることが多かったんです。1学年上と同学年にGKがいなくて、全国大会とかにはGKで出場したりしていました。背の高さは普通ぐらいだったんですけど、ビルドアップの要素を買われたのかなと。でも、小6の時に“フィールドをしたいです”と監督に言って、それが認められました。

 中1の時が、自分にとっては一つの転機だったと思っています。それまではサイドバックをやることが多かったけど、U―15に昇格できて、当時の金晃正コーチにボランチで使ってもらうようになった。プレー面だけじゃなく、自分自身を集中させるために怒ってくれるなど、凄い影響を受けた。振り返って見ても、中1の時が一番伸びたと感じていて。その時に年代別代表のエリートプログラムに初めて選ばれました。

 小学校の頃からトップチームの試合を見に行っていて、みんな目指すところはそこだった。よく見ていたのは、乾選手や香川選手。自分のインスタに森島さんとの写真を載せているんですけどあれは小2ぐらい。スクール訪問に来てくれてた時に、列に並んで写真を撮ってサインをもらいました。

 今、トップの選手になって、小さい時から憧れてきた選手と一緒にプレーできたりしています。小さい時からお世話になったクラブへの恩返しは、やっぱり結果だと思うので。もっと試合に出て、チームとしてはタイトルを獲れるように頑張っていきたいです。(C大阪MF)

 ◇喜田 陽(きだ・ひなた)2000年(平12)7月4日生まれ、大阪府出身の21歳。C大阪スクール泉大津校から同U―12、同U―15、同U―18を経て18年8月にプロ契約を締結しトップ昇格。19年に福岡へ期限付き移籍し、翌年にC大阪復帰。1メートル71、59キロ。利き足は右。

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