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セレッソ大阪 サクラ咲ケ

椎間板ヘルニアから復活の高木 言葉より経験を重ねた背中で語りたい

[ 2020年10月20日 05:30 ]

9月13日、横浜戦でゴールを決めデサバト(左)と喜ぶ高木(中央)
Photo By スポニチ

 C大阪の連載「サクラ咲ケ」の第9回は、加入から3年目を迎えるFW高木俊幸(29)。一昨年から抱えてきた腰椎椎間板ヘルニアが悪化し、今年3月に手術へと踏み切り完治に至った。決断に至るまでの葛藤、そして今後への思いを語った。

 首位の川崎Fとの勝ち点差がかなり開いてしまいました。正直、難しい状況ではあるけど、勝負の世界に生きている人間からすれば、2位を獲りにいくというのはしっくりこない。サポーターも同じ気持ちだと思うし、めちゃくちゃ少ない確率かもしれないけど、優勝を狙ってやらないといけないと思っています。

 個人としては、コンディションも問題なく〝もっと試合に出てチームの力になれたら〟という思いがある。腰椎椎間板ヘルニアと腰椎分離症の手術をしたのが今年の3月4日。一昨年の終わりから違和感があったけど、当時の程度では〝手術をするのはもったいない〟と、いろんなドクターに言われた。ヘルニアは手術をすると復帰までに時間がかかるし、手術の方が再発率も少し上がる。自然治癒の方が良いという判断に落ち着きました。

 昨年はヘルニアを持ったままプレーしていて、状態が悪いときは注射を打ち、ひどいときは注射と痛み止めで処置をしていた。痛みを取る、とにかく炎症を取らないといけなかった。朝起きたら腰が痛くて、寝た状態で足が90度に上がらない。今年の宮崎キャンプで調子が良かったのに、大阪に戻ってきたら動ける状態じゃないぐらい症状のステージが上がっちゃった。結果、手術しかない、と。

 今年で29歳になって、もう来年は30歳。若いときは自分の結果だけを考えていたけど、この年になって周りも見え出すというか、若い選手を見て〝考え方や姿勢が若いな〟と思ったり。それが良い刺激になることもあるし〝こうした方が絶対にコイツのために良いだろうな〟というのが見えたりとか。

 プレーの面でも、昔はドリブルからシュートぐらいしかできなかった自分が、それ以外のことも多少はできるようになった。でも、今思うのは、ドリブルして〝俺が決めるんだ〟というあのころの気持ちも大事だということ。ギラギラする。周りも見える。そのバランスが取れたときが一番、良い自分になれる気がします。

 自分はあんまり語彙(ごい)力がないんで…(笑い)。若手にアドバイスをするようなタイプじゃないけど、経験を重ねてきた姿をプレーで、背中で後輩に見せられたらなと思っています。(C大阪FW)

 ◇高木 俊幸(たかぎ・としゆき)1991年(平3)5月25日生まれ、神奈川県横浜市出身の29歳。東京Vジュニアユース、同ユースに所属し10年にトップチームへ昇格。清水、浦和を経て18年にC大阪加入。父は元プロ野球選手の高木豊氏。1メートル70、64キロ。利き足は右。

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