松鶴家千とせさん死去 84歳、70年代に一世風靡した漫談家「わかるかな?わっかんねえだろうな」

[ 2022年2月18日 05:30 ]

松鶴家千とせさん
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 「わかるかな?わっかんねえだろうな」のセリフで、1970年代に一世を風靡(ふうび)した漫談家の松鶴家千とせ(しょかくや・ちとせ=本名小谷津英雄=こやつ・ひでお)さんが17日午前10時4分、心不全のため都内の病院で死去した。84歳。福島県出身。葬儀・告別式は19日、近親者のみの密葬で行われる。喪主は長男小谷津英之(こやつ・ひでゆき)さん。今年に入ってデュエット曲を発売するなどしていたが、体調を崩し入院していた。

 アフロヘアにサングラス、あごひげの特徴的ないでたちでナンセンスなギャグを量産し、全盛期は月1000万円を稼いだという千とせさんが旅立った。

 英之さんによると、千とせさんは1月28日に自宅で「具合が悪い」と訴え、病院で「心筋梗塞を起こしていて、危ない状態」と診断された。歌手の恵中瞳(公称33)とのユニット「千とせ&ひとみん」で、新曲となるCD「CH列車で行こう!/キャンユーアンダースタンド?」を発売した2日後のことだった。

 すぐ入院し、治療に専念。悪化と回復を繰り返していたが、17日の午前4時半ごろ容体が急変。知らせを受けた英之さんが病院に駆けつけたが、既に亡くなっていたという。英之さんは「入院後はコロナ禍もあり、家族も見舞いもできなかった」と悔やんだ。

 千とせさんは上京後、漫才師として活動したが鳴かず飛ばず。コンビ別れを繰り返し、キャバレーの司会などで食いつなぐ下積み生活を約15年経験した。

 70年ごろ漫談家に転身したが、人気は上がらなかった。「この客に俺の芸がわかるのか。わかるもんか」という思いを舞台で口にしたことから生まれたひと言「わかるかな?わっかんねえだろうな」が運命を変えた。

 「俺が昔夕焼けだった頃、弟は小焼けだった」などのナンセンスなフレーズに続けて繰り出すこのひと言が73~75年ごろ大人気となり、ピーク時には1日10本テレビ出演し、CMは最高26本。ピースサインを出しながらの「イェ~イ」や「シャバダビデー!」などのギャグも流行した。

 しかし全盛期は2、3年ほどで終了。その後は若手に交じり、テレビ番組「お笑いスター誕生!!」のオーディションに出たり、埼玉県の商業ビルの理事長を務めるなどした。

 しかし「日清焼そばU.F.O」や、あめ菓子「那智黒」のCMがお茶の間で親しまれた影響もあり、独特のキャラとフレーズは長年インパクトを残し続けた。周囲には、ビートたけし(75)、ビートきよし(72)のツービートの師匠だったと話していた。

 葬儀・告別式は密葬となるが、ファンも参列できるお別れの会を4月15日、東京・竹の塚地域学習センターで行う。

 ◇松鶴家 千とせ(しょかくや・ちとせ、本名小谷津英雄=こやつ・ひでお)1938年(昭13)1月9日生まれ、福島県出身。中学卒業後の53年、歌手を目指して上京。漫才の松鶴家千代若・千代菊に入門した。67年、千とせ流家元三代目松鶴家千とせを襲名。私生活では62年にファンの一人だった夫人と結婚した。

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