大黒摩季 子宮疾患と不妊治療と闘い続けた日々を語る 最後は「私として生きていくだけ」

[ 2021年11月5日 15:20 ]

大黒摩季
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 シンガーソングライターの大黒摩季(51)が5日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。子宮疾患と闘いながら不妊治療を行っていた当時を振り返った。

 大黒は03年に同い年の一般男性と結婚。10年には以前に発覚した子宮疾患が深刻化し、6年間歌手活動を休止して病気と不妊治療に専念したが、19年4月に離婚した。司会の黒柳徹子(88)から、「あなたは33歳でご結婚になって、そのあと不妊治療をなさったんですって」と振られると、「そうですね」と話した。

 元夫には結婚前に「たぶん産めない。子どもが欲しかったらほかの人探した方がいいよ」と話し、医師からも「97、8パーセントダメだ」と言われていると伝えたが、「2パーセントあるじゃん。やるだけやってみようと。どうしてもだめだったら2人で生きて行こう」と言われたとした。

 しかし「不妊治療をすると、病気が大きくなっちゃって。エストロゲンをいっぱい足すから。病気はそれがエサというか、エネルギー源だから大きくなっちゃうんです。それで不妊治療のタームが終わったら、病気の治療というのを繰り返していて。ホルモンがこう…自分の性格がどこに着地するのか分からないくらいでした」と振り返った。活動休止せざるを得なくなった当時は「最後は腹腔内の炎症がぼっ発しまくって、流血してて。炎症がひどくなると高熱になるんですよ」とし、スーパーで激痛でうずくまることもあったとした。「それで一回きちっとお掃除しましょうという感じで、活動休止になりました」と説明した。

 6年間の活動休止で病気は完治したのかと聞かれると、「最後は結局体外受精とかをしてたんですけど。自分の子宮にこだわってたんですけど、産みたかったから。でも子宮自体がボコボコになっていたから、いろんな治療を含めて。その子宮だから赤ちゃんが流産しちゃうんだなということで子宮を全摘して。少しの受精卵だけ取っておいて、代理母をアメリカに行ってお願いしてというのにかけたんですけど」と大黒。「取っちゃったから、そこからはパラダイスでした。痛みから」と話した。

 代理母による出産にかけたが、「2回行ったんですけど、ダメでした。凄いよくしてもらったんですけど、ダメでした。ツアー中に最後のアレがダメだったって聞いて、もうあたし『熱くなれ』って歌いたくないと思いました。さすがに。チーンってなって」と語った。「そこからはもはや、私として生きていくだけであれなんですけど」と前を向いた。

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2021年11月5日のニュース