立川志らく 談志さん没後10年 「私たちの世代が言っていかないと」

[ 2021年11月5日 08:10 ]

立川談志さん没後10年に思いをめぐらせる立川志らく
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 【牧 元一の孤人焦点】落語家の立川談志さんが2011年11月21日に亡くなって間もなく丸10年。今、高座だけではなくテレビやラジオで活躍する弟子の立川志らく(58)に思いを聞いた。

 ──現在の落語界をどう思いますか?

 「落語はこうあるべきだということを言う人がいなくなってしまいました。談志が亡くなって10年たって柳家小三治師匠も亡くなってしまったから、良い方向には行っていないと思います。落語が何でも良くなっちゃったということですよね。談志がいれば『そんなの落語じゃない。落語はこうあるべきだ』と言うし、小三治師匠がいれば名人の流れのスタイルを見せてくれる。でも、それがなくなってしまった」

 ──落語の基準がなくなっている?

 「そうです。ウケればいいってもんじゃない。落語はウケることが目的じゃなく、手段なんです。笑わせた方が勝ちだとなったら、どうやってもコントや漫才に勝てない。笑いは手段で、その先のもので勝つことができるんです。私たちの世代がよほど『落語ってこうなんだよ』と言っていかないことには、いい方向には行かないですね」

 ──今、必要なものは何でしょう?

 「やはり、スターが必要なんじゃないですか。売れている人が1人でも多くないと。私より上の世代には、春風亭小朝師匠や、『笑点』に出ている三遊亭円楽師匠、三遊亭小遊三師匠がいます。私の世代には、志の輔兄さんがいて、春風亭昇太兄さんがいて、誰もが知っている人が何人かいる。談春兄さんも、たくさんのテレビドラマに出ている。問題は、その下がいないこと。私と同世代、下の世代の人たちはもっとテレビに出た方がいい。落語協会にいる人には、昔の美学があるんです。『テレビはよーがすよ』って。立川流は寄席育ちをしてないから美学が薄い」

 ──談志さんの素晴らしさの一つは、師匠として志の輔さん、談春さん、志らくさんを育てたことだと思います。

 「寄席を飛び出してから作ったんです。だから、談志の行動は正解だった。寄席に出ていた上の弟子たちは美学に邪魔されて、談志のイリュージョン落語が理解できない人もいる。『談志は落語がへたになった』と思っていましたから。ピカソを理解できないのと同じです。きちっとした絵は美大生でも描ける。でも、ピカソの絵はピカソにしか描けない。ファンはピカソになった談志が面白いから、ついて行ったんです」

 ──談志さんのことで、今、思い出すのはどんなことでしょう?

 「落語に悩み、苦しんでいる姿をやたら思い出します。悩んで苦しんで結論が出ずに死んでいきました。結論を出すのが弟子の役目なんでしょうが、談志ほどの人間があれだけ悩んで結論が出ないってことは、われわれ弟子がいくら悩んだって結論は出ないでしょう。だから、悩まない方が本当はいいんじゃないかと思います。落語に出てくる人たちって適当でしょう?昔の名人たちも実に適当に生きていたでしょう?談志に『落語が人間の業の肯定、弱いものを認めるものであるとすれば、われわれみたいなのでいいんじゃないですか?』と、売れていない落語家が聞いたことがあるんです。談志は考え込んでいました」

 ──談志さんは弟子たちにどんなことを求めていたのですか?

 「『オレの弟子で、動かないのがたくさんいる。何もしない。何でもすればいいじゃねえか』と言っていました。よく『オレを刺せ!』と言っていた。人様を刺せば迷惑になる。師匠を刺せば話題になるから、死なない程度に刺して刑務所に入って帰って来れば、客が来る。それで『師匠を刺して5年間、刑務所に入ってました。ちゃんと急所を外したんですよ。師匠が体をずらすから、ちょっと深く入っちゃった』なんて話せばいい。芸のないヤツはそうやって話題を作れということです。談志だって国を変えたいから政治家になったわけじゃない。『なんで政治家になったんですか?』と聞いたら『ブームだから。ブームに乗るのが芸人だ』と言っていました。国民は『ふざけんな!』と怒りますよね。でも、その面白さを理解するのが落語ファンです」

 ──談志さんが亡くなってからの日本はつまらなくなった気がします。

 「談志は『芸人は非常識』を体現した人でした。今は芸人も品行方正じゃないといけない。世の中の鏡じゃないといけない。不倫をしたら謝罪会見をするみたいなことが当たり前になってしまった。談志は『芸人はハレンチなもの』と考えていた。テレビで言っちゃいけないことを平気で言うし、気分が悪けりゃ独演会にも行かない。めちゃくちゃだった。でも、それが許された時代でもありました。今、私が談志と同じことをやったら、すぐに追放されてしまいます」

 ──談志さんから受け継ぐところは?

 「芸ですね。談志のようには生きられない。そもそも、入門した時から、談志の乱暴なところ、おっかないところ、めちゃくちゃなところは好きじゃなかった。私は根が真面目で、談志のように遅刻するどころか、人より早く行こうとするタイプ。なんで談志の弟子になったかと言えば、やっている落語が好きだったからです。談志は音楽を聴いて、映画を見ていた。そこだけはマネしました」

 ──志らくさんは58歳で、落語家としては若く、これからですね。

 「談志と親交のあった作家の色川武大先生が『落語家がいいのは60代』と言っていました。談志の落語が変容していったのも60代でした。私もこれから60代になって、そこからの10年間が1番いいと思います」

 高座以外の世界でも活躍する志らくは、談志さんの「何でもすればいいじゃねえか」という教えを守っていると言える。5日はニッポン放送「立川志らくのオールナイトニッポンGOLD」(後10・00)に生出演。談志さんの命日の21日には、講談師の神田伯山(38)と「談志イズム」などについて語るTOKYO MX「~立川談志没後10年~復活!言いたい放だい2021」(後7・00)が放送される。また、12月25日には東京・有楽町よみうりホールで開催される「第四回オール日芸寄席 おっと天下の日大事」に春風亭一之輔(43)らとともに出演する。

 何より注目すべきは高座。談志さんが60歳を超えて芸をさらに進化させたように、芸を極めるのはこれからだろう。円熟する噺(はなし)を楽しんでゆきたい。

 ◆牧 元一(まき・もとかず) 編集局デジタル編集部専門委員。芸能取材歴30年以上。現在は主にテレビやラジオを担当。

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