作詞作曲家の中村泰士さん急死 81歳 肝臓がん「北酒場」「喝采」でレコード大賞

[ 2020年12月25日 05:30 ]

中村泰士さん(18年撮影)
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 細川たかし「北酒場」や、ちあきなおみ「喝采」を手掛けた作詞作曲家の中村泰士(なかむら・たいじ、本名泰士=たいし)さんが20日午後11時50分、肝臓がんのため、大阪市内の病院で亡くなっていたことが24日、分かった。81歳。奈良県出身。この日、大阪市内の寺院で親族のみで葬儀が営まれた。喪主は長男修士(しゅうじ)氏。今月5日にライブを行うなど精力的な動きを見せていた直後の急死だった。

 中村さんは9月末ごろに体調不良を訴え、10月初旬の検査でがんが見つかり入院。約2週間にわたる抗がん剤治療を受けた。先月、闘病を公表した際は、転移もなく経過は良好と説明していた。

 所属事務所によると今月5日に大阪発のクルーズ船上でライブ。これが最後のステージとなり、最後に歌ったのは「喝采」だった。翌6日に再入院。18日までは元気で「来年、ニューイヤーライブをやる」などと普通に音楽の話をしていた。19日に容体が急変したという。

 関係者によると「抗がん剤が合って、腫瘍自体は小さくなっていたが、副反応によって肝臓の正常な細胞に負担がかかり、肝機能の数値が下がってしまったようだ」という。「11月のライブでは手すりがないと歩けないほどの状態で、無理していたと思う」とした。

 この日の葬儀は家族10人ほどが参列。棺には天国でも音楽ができるようにと、愛用のアコースティックギターや楽譜、ペンなどが納められた。

 1972年に「喝采」、82年に「北酒場」で2度の日本レコード大賞を受賞。歌手としても活動した。日本テレビのオーディション番組「スター誕生!」では71年の放送開始から約10年間審査員を務め、桜田淳子(62)や中森明菜(55)らのデビューを後押し。82年からはフジテレビ「笑っていいとも!」レギュラーを務めるなど、80年代はタレントとしても活躍した。私生活では69年にファンの女性と結婚したがのち離婚。直後の88年に17歳年下の教え子と再婚した。

 95年には自宅などの私財を売り払い、無所属で奈良県知事選に出馬するも落選。96年には自由連合の公認で衆院選に立候補したが、こちらも涙をのんだ。

 偉ぶらない性格で、芸能担当の記者らともたびたび酒席を共にしていた。親しい知人は「カラオケにもよく行った。自分の曲を歌う一般の人をいつも目を細めて見ていたのが印象深い」としのんだ。

 「私の曲を知らない世代にも聞いてもらいたい」という中村さんの遺志で後日、30~50代の音楽ファンを招待して大阪市内で追悼コンサートを開催する予定という。

 ◆中村 泰士(なかむら・たいじ、本名泰士=たいし)1939年(昭14)5月21日生まれ、奈良県出身。5人きょうだいの末っ子で、6歳の時父親が死亡。女手一つで育てられる。中学時代にブラスバンド部に入り音楽と出合う。高校2年でエルビス・プレスリーなどロックンロールに目覚め、18歳で故内田裕也さん、佐川満男のバンド「ブルージーンズ」に加入。その後上京し、スカウトされ57年に「美川鯛二」名義でデビュー。68年の佐川満男「今は幸せかい」から本格的に作曲家に転向した。

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2020年12月25日のニュース