花巻東の2年生4番水谷 ホロ苦かった夏の聖地「3年生ともっと野球をやりたかった」

[ 2019年8月28日 09:00 ]

花巻東・水谷
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 当コラムでは令和最初の甲子園大会で、スポニチ高校野球取班が印象に残った選手や大会中のこぼれ話をリレー形式で紹介します。第5回は花巻東(岩手)の水谷公省外野手(2年)です。ホロ苦い、夏の聖地だった。

 2年生4番の水谷は初戦の鳴門(徳島)に4―10で敗れ、自身は3打数無安打。「3年生ともっと野球をやりたかった」と泣き崩れた。

 父は横浜隼人・水谷哲也監督。横浜隼人が甲子園初出場した09年夏には2回戦で菊池(現マリナーズ)を擁する花巻東に敗れた試合を甲子園で観戦していた。横浜隼人に進むことを考えていたが、父のすすめもあり「最後は自分が行きたいと決めた」と花巻東に進学した。

 憧れはDeNAの筒香。横浜スタジアムにも「よく応援に行きました」と懐かしむ。チーム唯一の県外選手。「1人だけ岩手出身じゃないので最初は不安だった」。それでも県外から挑戦した水谷を、岩手ならではの人の温かさが包み込んだ。「僕は県外なのに、みんなが溶け込みやすくしてくれて助けてくれた。周りのおかげでここまで成長できた」。最初に覚えた岩手弁は「しゃっこい(=冷たい)」。冷麺が大好物だ。

 1メートル84、82キロの豊かな体格も買われ、1年生から4番に抜てきされた。すると水谷は予想外の行動に出る。「野球に集中したかったので、携帯を実家に置いてきました」。チームでは携帯を持つことは禁止されていない。今の高校生には必須アイテム。しかも県外生となればなおさら必要だ。しかし、自分がベンチ入りしたことで出られなくなる選手がいる。覚悟を示すため「携帯は要らない」と強い決意で置いてきた。家族との連絡は寮にある公衆電話。甲子園が決まった後、父に連絡すると「全国の舞台は甘くないぞ、と言われました」。

 父からの2つの言葉を胸に立った甲子園。「とにかく楽しめ」。「どんなに緊張しても接戦だったとしても諦めるな」。全国は甘くないという父の言葉は本当だった。「先輩たちが、やりやすい環境をつくってくれた。もっと凄い選手になって甲子園に帰ってきたい」。周囲への感謝が最後まで口をついた。感謝と悔しさが、水谷の未来を照らす道しるべとなる。(松井 いつき)

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