近藤昭仁氏を悼む 体は小さくても絶対負けない…座右の銘は「何苦楚」

[ 2019年3月28日 09:45 ]

近藤昭仁氏死去

60年、日本シリーズでMVPに輝いた近藤氏
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 【悼む】1メートル68、65キロの体から放つドライバーは二段ロケットのように加速していった。座右の銘は「何苦楚(なにくそ)」。気持ちでは誰にも絶対に負けない。「体が小さいことをハンデと思ったことは一度もない」と言い続けた。

 東京六大学に初めて背番号が導入された1959年に早大の初代背番号1を背負った近藤さんは60年に入団した大洋でも1番をつけた。堅実な守備で二塁の定位置をつかみ、日本シリーズで史上初の新人MVPに輝いた。

 天秤(てんびん)打法で知られる同姓の近藤和彦が「コンカズ」と呼ばれたのに対し「チビコン」か「チビアキ」。MVP発表の前に「アキだ、アキだ」の声。4連投で2勝を挙げたエース秋山登かと思いきや、チビアキだった。

 兼任コーチを1年務めて現役を引退した73年オフ、慶大の山下大輔をドラフト1位指名した球団から「背番号1をやってくれ」と言われたが、拒否した。実績のない新人に愛着のある背番号は渡せない。1年目に「20」をつけた山下に1番を譲ったのは1年後だった。

 ヤクルト、西武でコーチとして広岡達朗監督の「勝つ野球」を学び、ヘッドコーチとして藤田巨人2度の優勝に貢献。監督としては横浜で98年日本一に輝くチームの土台をつくり、ロッテではプロ野球記録となる18連敗の屈辱にまみれた。

 飲めない酒をあおっても眠れない。藤田元司からもらった睡眠導入剤に頼った。それでも「大丈夫か?なんだったら…」と遠回しに休養を促す重光武雄オーナーに「いえ、大丈夫です。倒れるまでやります」と返した。

 その負けん気で病魔も蹴散らせばよかったのに…。4年ほど前にパーキンソン病を発症し、レビー小体型認知症を併発。大好きなゴルフも2016年11月が最後になった。「一度はやってみたいんだよ」。エージシュートを達成してもらいたかった。=敬称略=(特別編集委員・永瀬 郷太郎)

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