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こだわり旬の旅

【佐賀・唐津】秀吉の夢の跡…名だたる武将が集まった名護屋城跡 黄金の茶室の輝きに圧倒!

[ 2024年7月6日 15:59 ]

名護屋城の本丸跡。礎石が残り、玄界灘から壱岐、対馬まで望める
Photo By スポニチ

 クルーズの後は車で約15分の、鎮西町の玄界灘を望む丘陵地帯(標高約90メートル)にある名護屋城跡に向かった。豊臣秀吉が文禄・慶長の役(1592~98年)の際、国内拠点としてわずか5カ月で築いた城。当時の大坂城に次ぐ規模で、周囲3キロ内に全国から名だたる大名・武将が集結。その陣屋が150以上も建てられ、人口20万人を超えたというだけに、名護屋大橋を渡って行く国道204号線の信号には「徳川家康別陣跡」「伊達政宗陣跡」などと書かれた標識が続き、胸が躍る。

 はやる心を抑えながら、まずは「県立名護屋城博物館」(入場無料)を見学。そこで見た屏風絵の名護屋城に驚いた。昭和40年代に発見されたもので、5重7階の天守の姿は「国宝の松本城(長野県)を想像するといい」(学芸課長の宮崎博司さん)というほど立派。京都御所から運ばせたという「黄金の茶室」も約400年ぶりに復元、展示され、その豪華絢爛さにも目を見張ったが、いずれも全国の大名に自らの権威と財力を見せつけ圧倒するツールのように思えた。

 それは同館から大手口を通り、野面積みの石垣を見ながら15分ほど歩く本丸(天守台)でも感じられた。東西130メートル、南北125メートルで、今は礎石が残り、東郷平八郎書による名護屋城址の碑と俳人青木月斗の歌碑が建つだけだが、目の前には青々とした玄界灘、彼方には壱岐、対馬を眺望できる大パノラマが広がる。その向こうには朝鮮半島があるはずで、秀吉の野望をさらにかき立てたのは想像に難くない。

 ただ、秀吉がこの城にいたのはわずか13カ月。朝鮮からは陶磁器の技法が伝えられ有田焼などを生んだが、出兵はなかなか有利に運ばず、結局失敗。秀吉がどんな気持ちでこの地を去ったのかを思うと、妙に悲しかった。

 ▽行かれる方へ 佐賀空港から車で約1時間50分。城内ガイドツアー(1人200円)のほか、タブレットに城などが映し出されるバーチャル名護屋城(無料)も。名護屋城博物館=(電)0955(82)4905、名護屋城跡観光案内所=(電)同5774。

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