【阪神大震災28年】女性コンビ「アルミカン」高橋が語る震災「祖母が“紗織に布団を被せて”と叫んだ」

[ 2023年1月17日 05:00 ]

小学1年時に阪神大震災で被災した際の自由研究のアルバムを手にするお笑い芸人「アルミカン」の高橋沙織(撮影・古野公喜)
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 幼稚園児だった28年前のあの一瞬が、昨日のことのように思い出される。「今もグラッと来たらドキッとします。あの光景は今も目に焼き付いて離れません」。お笑いコンビ「アルミカン」の高橋沙織(34)が語った。

 95年1月17日、被害の大きかった神戸市長田区内で被災した。北海道・釧路生まれだが、当時は札幌に在住。寒さの強い北海道は冬休みが長い。その休みを利用して、母・浩美さん(57)の実家へ帰省中だった。18日に札幌へ戻る予定だった。母の実家は長田の「丸五商店街」にある鮮魚店で、店舗兼自宅の2階で祖母・小泉清子さん(86)、母と3人で寝ていた。

 突然の大きな音、大きな揺れで目が覚めた。「何がなんだか分からなかった。祖母が母に“沙織に布団を被せて”と叫んでました」。北海道も地震が多い地域で、震度2や3など少しの揺れでは「慣れていた」と動揺もしなかったが、いつもとはレベルが違った。店舗兼自宅は、エアコンが吹っ飛び、天井が落ちるなど半壊。祖母はタンスの下敷きになったが、幸いにも軽傷で済んだ。「地震から何分かして、外に出てみたら、両隣のウチはペシャンコになってました。近くで煙が何本も上がってた。火事が凄かった地区です」。

 隣家に住む叔父の車で逃げ、車の中で1日を過ごした。震度3~4の余震で揺れる度に「母にしがみついていたのを覚えています」。翌日、避難所となっていた小学校に身を寄せた。「図書館に3日間泊まりました。皆さんに優しくしてもらいました」。幼心に人の温かさを感じたそうだ。叔父は近くの火事現場へバケツリレーに借り出された。

 北海道にいた父は、テレビに映し出された長田の街を見て愕然としたそうだ。「父は私と母が亡くなったと思ったそうです」。母と公衆電話の列に並び、地震発生から2日後にようやく、父と連絡が取れたそうだ。

 それから1年後の冬休み、小学1年になった高橋は再び神戸に帰省し、復興途中の被災地を回った。倒壊したままの家屋、避難した小学校、更地になった空き地…。母と歩き回って、その模様を日記にしたためた。30枚ほどの写真と1冊26ページのアルバムにまとめ、自由研究の課題として学校に提出した。それが地元新聞にも大きく取り上げられ、「何か賞をいただきました」と周りから評価されたそうだ。

 大学在学中にデビュー。女芸人「THE W」では準決勝に進出した。グラビアでも取り上げられる“美形芸人”として話題になる一方、ABCテレビの「パネルクイズ アタック25」で優勝するなど神戸大卒の才媛ぶりを発揮。特技の“謎解き”を生かして、YouYube「さおりんの謎解きCH」も人気上昇中だ。23日にはテレビ朝日系「Qさま!!」(月曜後9・00)に初出演する。

 これまであまり被災体験を語ることはなかったが「私たちが震災の体験を伝えられる最後の世代かもしれません。これから積極的に話していきたい」と本業の漫才、クイズだけでなく、震災体験した伝承者としての活動もするつもりだ。

 ◇高橋 沙織(たかはし・さおり)1988年10月15日、北海道・釧路生まれの札幌育ち。中学から神戸に移り、神戸高―神戸大卒。札幌で子役として活躍。神大在学中の09年に赤阪侑子(39)とお笑いコンビ「アルミカン」を結成。KBSラジオ「アルミカンのチラリズム」(日曜後10・00)にレギュラー出演。

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