武田鉄矢 海援隊でデビュー2年目に紅白出場も失速…スナックで皿洗い「どん底ねー」妻の明るさに支えられ

[ 2022年9月11日 16:42 ]

俳優の武田鉄矢
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 歌手で俳優の武田鉄矢(73)が10日放送のTBS「人生最高レストラン」(土曜後11・30)にゲスト出演。海援隊が売れなくなった当時を振り返った。

 武田は1972年にフォークグループ海援隊としてレコードデビュー。翌73年には「母に捧げるバラード」が大ヒットし、紅白歌合戦に初出場も果たした。だが、その次の年には「ぴたっと止まるんです」と勢いがストップ。「どこの会場でも簡単に1000人は入るっていうフォークシンガーだったのが、6カ月でもう100人が危なくなった」と振り返った。

 勢いが止まった理由については「新しい音楽がいっぺんに世の中に出てくるんですよ」と武田。「最初は吉田拓郎さんがトップだったんですけど、トップが入れ替わるんです。松任谷(由実)ユーミンさんです。荒井由実さん。歌詞で使う言葉が違うんですよ」と語った。

 「私は歌のネタは博多のフォークソング、つまり時代の中に隠れている言葉を引っ張り出して生きていくっていう。みんなに共通の思いを見つけるのが私の歌の本質なんですよ」としながらも「ユーミンさんあたりになると、もう自分のパターン。だってユーミンの使う言葉って、彼女しか使わないじゃないですか。“あのひとのママに会うために”“バスルームにルージュの伝言”ですよ」と松任谷のヒット曲「ルージュの伝言」の例を挙げた。

 音楽を辞めようという感覚にはならなかったのかと聞かれると、「なった」と回答した。「やっぱ食っていけない。センスがないことだけはどうしようもないもん。女房に相談したら、女房がゲラゲラ笑って“その気もないくせに”って言う。相手にしないんですよ。落ち込んだ俺を」と武田。「それでかあちゃん、妊娠してたんですけど2人で原宿のスナックで皿洗いして。前の年は紅白出たのに、次の年は。で、5000円もらって、2人で夜道歩いて帰ったのを覚えてますよ。その時の助けれくれたのが女房の明るさで、女房が“ほんと、どん底ねー”って笑いながら」と当時の妻の支えに感謝した。

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2022年9月11日のニュース