【内田雅也の追球】歴史が教える教訓 ノーヒットノーランの屈辱を反骨精神に変えてこそ

[ 2024年5月25日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神0ー1巨人 ( 2024年5月24日    甲子園 )

選手交代を告げ、ベンチへ戻る岡田監督
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 ゲームセットの瞬間を見届けた阪神監督・岡田彰布は少し笑ったように見えた。巨人・戸郷翔征にノーヒットノーランを喫して敗れた。

 走者が出たのは敵失2個と四球の3人。得点圏に走者が進んだのは9回裏の1度だけ。お手上げ状態で、あの笑いには低調打線の自虐と相手への称賛も含まれていよう。

 問題は戸郷得意のフォークだった。「低めのボールな、フォーク振ってな」と岡田は言う。もともと「フォークは打つ球やない」が持論だ。「フォークを打つ練習なんかしてないやろ。ボールになる球やろ」。見極めができなかった。

 岡田が監督としてノーヒットノーランを喫するのは2006年9月16日、ナゴヤドームで山本昌(中日)にやられて以来2度目だ。あの時はその後9連勝してみせた。

 それより阪神が巨人の投手に喫するのは1936、37年の沢村栄治以来87年ぶりである。伝説の時代がよみがえる。

 今のプロ野球初年度の36年、9月25日に甲子園でやられた。年度優勝決定シリーズでも3連投の沢村に苦杯をなめた。

 阪神は翌37年2月の甲子園キャンプで秘密特訓を行った。球場の出入り口を閉鎖し、投手をプレートの1、2歩手前から全力投球させ、打撃練習を積んだ。それでも同年5月1日、洲崎で沢村に2度目のノーヒットノーランを喫した。

 「打倒沢村」の思いは募り、7月21日のオープン戦(横浜公園)で10点を奪い、6回でKO。球団専務・冨樫興一は全員にビールをふるまい、金一封を出した。年度優勝決定シリーズでも沢村を打ち込み、初の日本一に輝いている。

 歴史が教える教訓は、屈辱を味わった後が重要という反骨精神である。岡田も「もう終わったこと」と前を向いている。1敗は1敗である。「明日、野手がどんなバッティングをするかよ」

 打線がどん底ならば、後は上がるだけではないか。村岡花子訳の『赤毛のアン』(新潮文庫)にある。アンはおばさんの家に引き取ってもらえないと「絶望のどん底」だったが、一晩眠ると元気になり、窓から見えた桜を「雪の女王」と名づけた。「おばさん、こんな朝には、ただただ世界が好きでたまらないという気がしない?」

 きょう25日はナイター明けのデーゲーム。朝は希望に目覚めたい。 =敬称略=
 (編集委員) 

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