惜敗の東洋大姫路・藤田監督 聖地に別れ 「諦めない野球をしてくれた選手にありがとうと伝えたい」

[ 2022年3月22日 05:30 ]

第94回選抜高校野球大会1回戦   東洋大姫路2ー4高知 ( 2022年3月21日    甲子園 )

<東洋大姫路・高知>甲子園のグラウンドに別れを告げる東洋大姫路・藤田監督(左端)=撮影・大森 寛明
Photo By スポニチ

 別れの春になった。最後に目に焼き付けたのは甲子園のスコアボードだった。改めて聖地に連れてきてくれた選手に感謝した。東洋大姫路・藤田明彦監督は万感の思いで、深く一礼した。

 2期19年、77年夏に全国制覇の輝かしい歴史を持つ母校で野球に打ち込んできた。チームとしては春夏通算20度目の甲子園出場。ヤクルト・原樹理らを育てた藤田監督は現役時代に2度、そして監督としては6度目の聖地。11年夏以来のシートノック、そして1時間59分の戦い。全てを心に刻んだ。

 「17歳で初めて甲子園に出場して、その母校のユニホームを着て、甲子園で終われた。2点を返し、諦めない野球をしてくれた選手たちにはありがとうと伝えたい」

 社会人・東芝府中で監督を務めたあと、社業に専念。だが、95年の阪神・淡路大震災の復興に関わる関西転勤が母校との縁を結んだ。三牧一雅部長(65)に請われ、退社を決断。単身赴任で取り組んだ19年。65歳定年で部長とともに春から後任にバトンを渡す。

 「選手には春夏連続の甲子園を目指してほしい。そのときはアルプスで応援します」。東京に残した家族も三塁側内野席で見届けていた。お孫さんたちはそろいの東洋大姫路のユニホーム。監督生活に悔いはない。(鈴木 光)

 ◇藤田 明彦(ふじた・あきひこ)1957年(昭32)2月13日生まれ、兵庫県西脇市出身の65歳。東洋大姫路では外野手で2年夏と3年夏に甲子園出場。東洋大を経て社会人の東芝府中でプレーし監督も務めた。97年8月に東洋大姫路の監督に就任。06年3月に退任し、11年2月に復帰。甲子園出場6度(春3、夏3)で通算8勝6敗1分け。

 【後任の岡田監督「お疲れさまでした」】退任する藤田監督の後任として4月に就任する履正社(大阪)・岡田龍生監督(60)はテレビで試合を見届けた。「お疲れさまでした、というしかありません。長い間、単身赴任で大変だったと思います。ご苦労さまでした」。藤田監督から直接の要請を受け、3月末での60歳定年を期に、19年夏に全国制覇を果たした履正社から自身の母校に戻る。「選手をしっかり見て、夏を目指す」とバトンを継承しながら、打力強化に取り組む構えだった。

 【打線がつながらず】東洋大姫路は打線がつながりを欠いた。2点差まで迫った8回2死三塁の場面では代打・千代凱登(かいと)が一邪飛。これで反撃が止まった。また、先発の森健人は9回4失点。「力んで、気持ちが前にいってしまった。夏はもっとレベルを上げて戻ってきたい」。退任する藤田監督に成長を約束。また、主将の岡部虎尉(とらい)も「全力でやりきることを教えていただいた。夏に甲子園で躍動する姿を見てもらうのが恩返し」と誓った。

続きを表示

2022年3月22日のニュース