【独占手記 鈴木誠也】ホッとした。新天地で僕自身どう変わるか純粋に楽しみ。メジャーで挑み、極めたい

[ 2022年3月20日 02:30 ]

カブス入団会見で背番号「27」を披露する鈴木誠也(撮影・光山 貴大)
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 カブスは18日(日本時間19日)、広島からポスティングシステムを利用した鈴木誠也外野手(27)を5年契約で獲得したと発表した。背番号は27で、年俸総額8500万ドル(約101億1500万円)は日本から移籍時の野手で最高額となった。広島への譲渡金は1462万5000ドル(約17億4000万円)。キャンプ地のアリゾナ州メサで入団会見に臨んだ同外野手はスポニチ本紙に独占手記を寄せ、決断の理由やメジャー挑戦に秘めた思いなどを激白した。

 所属球団がようやく決まり、ホッとした。正直、ここまで長引くとは思わなかった。モチベーションを保つのが難しく感じた時期もあったが、出発点に立った以上は切り替えて頑張るしかない。新たなチャレンジで僕自身がどう変わるのか。純粋に楽しみだ。

 選んだ決め手は熱意だった。ありがたいことに複数の球団から熱心に誘っていただいた。とりわけ、カブスのジェド・ホイヤー編成本部長の言葉に人間味や熱いハートを感じ、このチームで頑張ろうという気持ちが固まった。

 試合に出場する機会を得られるか。勝てるチームなのか。球団を選ぶ上では、その点も大事な要素だった。ただ、資金の力で補強に走るチームは違う。それだと僕も試合に出られなくなる。勝つためにどんな方針を立てているのか。そこも判断基準の一つだった。

 広島カープに在籍した9年間は毎日が充実していた。今日はどんな練習をする。明日はどう動く。ガムシャラにやるのも大事だが、反省を含めて、一日一日、自分で考えた。決めたことは怠ることなく、しっかり取り組んできた自負がある。

 在籍中は、数え切れないほどの貴重な経験ができた。2軍で多くの出場機会を与えられた1年目。早い段階でプロ野球の世界を知った。1軍に昇格した日のことも鮮烈に残る。

 素晴らしい出会いもあった。中でも、15年に復帰された黒田博樹さんと新井貴浩さん。視野が広く、意識の高い先輩方から貴重な助言や指導を頂き、自分の野球観に大きな影響を受けた。いいタイミングで出会うことができ、すべてが良い方向に進んだと感じる。

 思い出を挙げるとすればケガだ。もちろん、優勝は思い出深い。勝つ楽しさを肌で感じることができた。それ以上に折々のケガは僕を成長させてくれた。試合前の準備がいかに大切か。苦しい経験をしなければ、もっと適当にやったかもしれない。

 右足首を骨折した17年夏。それまでの僕は小さいことに悩んでいた。入院中、病気と闘う子供たちやお年寄りの懸命な姿に接し、自分の甘さを思い知った。落ち込んでいるヒマはない。時間を有効に使おう。そう考えると吹っ切れた。貴重な体験だった。

 メジャー挑戦を後押ししていただいた球団はもちろん、ファンの方々には感謝の気持ちしかない。胸にズシリと響いた叱咤(しった)激励。期待されているからこそであり、応援してもらう喜びやヤジへの悔しさをバネに頑張ることができた。

 新天地での近未来は予想がつかない。考えながら挑むシーズンになり、思った通りにはいかないと思う。長距離移動。時差や気温差もある。それでも結果を残さなければならない。いち早く順応し、打つだけでなく守備や走塁面でも1年目から期待に応えたい。

 日本で成功したとは思っていない。成績よりも、自分自身がどんな考え方を持ち、どんな技術を得たのか…に興味がある。やりたいことはまだまだたくさんある。メジャーで自分の感覚はどう変わるのか。挑み、究めたいと思っている。(カブス外野手)

 ◇鈴木 誠也(すずき・せいや)1994年(平6)8月18日生まれ、東京都出身の27歳。二松学舎大付から12年ドラフト2位で広島入り。19、21年に首位打者、最高出塁率、昨季までベストナイン6度、ゴールデングラブ賞5度。昨夏の東京五輪では侍ジャパンの一員として金メダルを獲得。妻は新体操で五輪に出場したスポーツキャスターの畠山愛理。1メートル81、98キロ。右投げ右打ち。

 ▽シカゴ・カブス 1876年のナ・リーグ創設時にホワイトストッキングスとして参加。1903年に現球団名となり、1906年にメジャー記録の116勝でリーグ優勝。1908年にワールドシリーズ連覇を達成し、2016年に108年ぶり世界一。リーグ優勝17回、世界一3回。日本選手では過去に福留孝介、田口壮、藤川球児、高橋尚成、和田毅、川崎宗則、上原浩治、ダルビッシュ有が所属。本拠は1914年完成のリーグ最古のリグリー・フィールド。

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