【内田雅也の追球】「ソーグヮチ」で思う「一日一生」の生き方

[ 2022年2月2日 08:00 ]

セレモニーであいさつする矢野監督(中央)(撮影・平嶋 理子)
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 旧正月だった。今も旧暦の文化・風習が残る沖縄では正月飾りやお供え物をし、ラフテーや中味汁などを食べて祝う。略して「旧正」、うちなーぐち(沖縄方言)で「ソーグヮチ」という。

 プロ野球も2月1日のキャンプインを正月と呼ぶ。関係者は「おめでとうございます」と言い合い、球春到来を祝う。

 今年はキャンプインと旧正月と重なった。沖縄でキャンプ取材にあたって20年以上になるが記憶にない。調べてみると、2003年以来、19年ぶりだった。当時はニューヨーク支局にいて、大リーグ担当だった。

 阪神は初めて沖縄・宜野座でキャンプを張り、18年ぶり優勝への一歩を踏み出したのだった。当時の監督・星野仙一は事始めをもじり「球始め」と呼んでいた。

 今の監督・矢野燿大は覚悟をもって過ごした。前日、全体ミーティングで今季限りでの退任を伝え、マスコミにも公表した。同席した球団幹部の1人は「監督には相当な覚悟を感じました」と話していた。「2月1日も帰って来ない一日。“来年は監督としてここにはいない”という気持ちを持って挑戦していきたい」と話していた。

 「一日一生」の生き方を思う。当欄で何度か書いてきた。文字通り命がけと言える、天台宗の千日回峰行を2度も満行した大阿闍梨(だいあじゃり)、酒井雄哉(ゆうさい)の言葉である。

 7年、約千日間、比叡山や京都を巡拝する。行程は1日30~84キロに及ぶ。道中に映る山や自然は変わらないように見えるが、日々移ろいゆく。「自分自身はいつもいつも新しくなっている。毎日毎日生まれ変わっているんだよ」と著書『一日一生』(朝日選書)で語っている。「だから“一日が一生”と考える。一日を中心にやっていくと、今日一日全力を尽くして明日を迎えようと思える。(中略)一日、一日と思って生きることが大事なのと違うかな」

 矢野が伝えたかった、または示したかった考えである。衝撃的な表明を受けての練習だったが、見た目は特に変わったところはなかった。ただし、人の心の中までは目に見えない。選手たちは帰らぬ1日を全力で過ごせただろうか。

 ただし、良く過ごせなかった者も落ち込む必要などない。また明日、新しい一日がやってくる。新しく生まれ変わって過ごせばいいではないか。 =敬称略= (編集委員)

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2022年2月2日のニュース