「宜野座カーブ」に乗せた琉球球児の夢 比嘉裕さん 愛息に託す

[ 2019年3月26日 11:00 ]

「宜野座カーブ」の握りを再現する比嘉さん
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 選抜21世紀枠が創設された2001年(平13)、地域振興に貢献してきたと宜野座(沖縄)が選ばれた。春夏を通じ初の甲子園。ただ、全試合に先発した比嘉裕さん(35)は重圧など感じなかったという。今は沖縄県内のアスファルト製造販売・施工会社「琉球開発」に勤務。「まさか僕らが甲子園。勝てるなんて思わない。楽しんでこようと思った」と懐かしんだ。

 入学時、投手から遊撃手へ転向。ところがエースの故障で2年秋から背番号6のままマウンドへ戻った。「でも僕の直球は130キロ以下。変化球が必要だった」。当時監督だった奥浜正さん(57)から徹底指導されたのが「宜野座カーブ」だ。

 奥浜さんが考案した、通常のカーブとは反対方向にひねって縦回転をかける新球。当初は制球できなかったが、冬場の猛特訓で間に合った。ドロップのように落ちる魔球がさえ、浪速(大阪)との準々決勝で12三振を奪うなどベスト4へとけん引。「夢が現実になった。大勢の前でプレーできたのは一生の宝」と振り返った。

 「宜野座カーブ」は沖縄球児の間でブームとなった。同校出身で社会人野球JX―ENEOSに進み、12、13年の都市対抗橋戸賞に輝いた大城基志投手も決め球に使った。ただ、比嘉さん自身は九州東海大の二塁手として04年全日本大学選手権に出場して以降、ユニホームを脱いだ。「悔いはありません」。今の夢は、ボールを握り始めた7歳の長男・裕空(ゆうあ)君と野球を語り合うことだ。 (伊藤 幸男)

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