はつらつ「ノーサイン野球」の富岡西に大拍手 V候補・東邦にあと一歩

[ 2019年3月26日 17:27 ]

第91回選抜高校野球大会1回戦   富岡西1―3東邦 ( 2019年3月26日    甲子園 )

<東邦・富岡西>初の甲子園も惜しくも敗れ、アルプスの応援団にあいさつに向かう富岡西ナイン(撮影・井垣 忠夫)
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 「野球のまち」徳島県阿南市からやって来た大応援団が陣取る一塁側アルプス席からの悲鳴が響いていた。9回表2死、遊ゴロを放った粟田翔瑛(3年)の一塁ヘッドスライディングで富岡西の甲子園は終わった。敗戦のサイレンとともに、えんじ色のユニホームをまとった21世紀枠校に拍手が送られ、銀傘に響いていた。

 「いえ……もっと、できました」。粟田は健闘をたたえる質問に数秒間考えて答えた。「悔しいです。チャンスはあったのに……。浮橋の好投に応えてやれなかった」

 エース・浮橋幸太(3年)は出場校中1位のチーム打率(3割8分6厘)の強力打線相手に、緩急をうまく使い、よく踏ん張った。
 浮橋と粟田は小学生時代の中野島スポーツ少年団、阿南第一中とバッテリーを組んでいた。富岡西入学後、粟田は遊撃に回っていたが、センバツ出場決定後の今年1月、再転向して再びコンビを組むようになった。

 粟田が悔やんだのは決勝点の取られ方だったろうか。1―1同点の7回裏、先頭打者を振り逃げ(記録は三振・暴投)で出塁を許し、バントの後に勝ち越し打を浴びた。この回2点目も暴投がからんでいた。いずれも捕手として後逸を止められなかった。

 ただ、浮橋は「自分のピッチングができたので悔いはありません」と言った。粟田への信頼感も口にした。「いろいろな話をしてゲームプランを立てたりします。あいつのサインで打たれても仕方がないと思えるぐらい信頼しています」

 粟田はまた打席でもチームに活気を呼んでいた。3回表先頭、本来は右打者だが、左打席に入り、セーフティーバントの構えを見せた。3球目で1ボール―2ストライクと追い込まれ、右打席に戻ったが、相手も自軍ベンチも驚いたはずだ。

 「あれはチームメートがみんな顔がこわばっていたので、緊張をほぐす意味でやったんです。みんな笑ってくれて、普段の姿に戻ってくれた」練習では左打席でのバントやゴロ打ちも行っていたが、試合で左打席に立ったのは初めてだそうだ。

 この打席で粟田はファウル6本を含め、実に12球を投げさせた。
 難敵の東邦が相手。相手のエース石川昂弥(3年)攻略の作戦も選手たちが自分たちで練った。

 主将・坂本賢哉(3年)は「粘って粘って球数を投げさせて後半勝負というのが共通認識でした」と話した。監督は一切指示は出していない。この作戦はある面成功したと言えるだろう。

 何しろ打者のべ36人が打席に立ったが、第1ストライクを振ったのは2回表の阿部航一郎(3年)と6回表の浮橋の2人だけだった。この待球策で石川に5回まで実に101球を投げさせ、後半の反撃につなげた。

 こうして、選手たち自身が考えて動けるのが、「ノーサイン野球」を掲げる富岡西の強みだ。

 0―1と1点を追う6回表1死一塁。右打者・安藤稜平(3年)のカウント1―1から一塁走者・吉田啓剛(3年)との間でヒットエンドランを成功させた。一、二塁間をゴロで破る右前打で一、三塁としたのだ。

 「走ると思っていました」と安藤は言った。むろんノーサイン。アイコンタクトすらない。「そろそろ走る、と思っていて準備していました。雰囲気ですね。一塁走者のスタートを見て、右方向に転がそうと思った」

 この後2死二、三塁となり、木村頼知(3年)の一打で同点に追いついたのだ。「2―2と追い込まれていましたし、何とか食らいついていこうと思いました。それが抜けてくれたんです」。引きつけて打ったライナーは一塁線を際どく突破する二塁打となった。

 甲子園出場が決まって以来、守備練習に重点を置いてきた。守りからリズムを作るのが富岡西の野球だという。

 独特の試合前シートノックは甲子園でも見せた。1球に全員が集中し、送球後も内野手全員で星型のボール回しを行う。つまり、ノックの本数は極端に少ない。この日数えてみると、同じ7分間のノックで、東邦は78本、富岡西は半分以下の37本だった。

 18日に徳島・阿南から神戸に入ってからも守備中心で、一切フリー打撃は行わないという独自の練習法で調整してきた。打撃は走者や状況を想定したケース打撃を行ってきた。坂本は「僕らは能力では相手に劣る。普通にやっていては勝てませんから」という工夫の練習だった。

 「すごい大応援団に勇気をもらいました。勝てた……。何とか勝ちたかった……。負けには必ず敗因があります。夏への課題ができました」

 坂本は今にも泣きそうな顔で、応援団への感謝を口にしていた。

 「子どもたちは一生懸命、縦横無尽にやってくれた」と小川浩監督(58)は選手たちをたたえた。「終盤8、9回に何か起きるんじゃないかと私の方がわくわくしていましたから」。

 富岡西OB。国学院大卒業後、監督生活36年で悲願の甲子園出場を果たした小川監督は前日まで3日間、選手とともに甲子園のスタンドに座り、雰囲気に慣れようとしていた。自身も緊張していたのかもしれない。

 「でも本番は緊張せずにできました。甲子園は想像していた通り、いやそれ以上にいいところでした」

 はつらつと、さわやかな春風とともに、甲子園に確かな足跡を残したのだった。(内田 雅也)

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2019年3月26日のニュース