【北京五輪プレーバック】メダル1号の堀島行真「結果が残らないと、自分は競技をしてはいけないのでは」

[ 2022年2月20日 19:10 ]

選手の談話で振り返る激闘の19日間

エアを決める堀島(AP)
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 北京冬季五輪は20日、北京市の国家体育場(通称「鳥の巣」)で閉会式を行い、19日間の全日程を終える。日本は金メダル3個を含む18個のメダルを獲得。大会中は選手の戦う姿勢に胸を打たれる場面が数多くあった。そんな心に残った五輪の名場面を、選手の談話をもとに振り返ってみる。

 日本に今大会メダル1号をもたらしたのは、フリースタイルスキー男子モーグルの堀島行真(24=トヨタ自動車)だった。

 日本勢で唯一決勝3回目に進出した堀島は81・48点をマークし、銅メダルを獲得。予選1回目は第2エアの着地を乱して、まさかの16位。過去の五輪で予選2回目から勝ち上がった選手のメダル獲得は前例がない中、ジンクスを破って平昌11位の雪辱を果たした。

 「諦めそうになったが、ここで諦めたらダメだと思った。最低限、表彰台を目標に掲げて挑んだので、それが達成できてうれしい。(メダルが)確定して、やっとホッとしたというか、安心した」。不屈の闘志が銅メダルをもたらし、潤ませた目からきれいな氷の結晶がこぼれた。

 予選1回目は16位。予選2回+決勝3回の現行方式が採用された14年ソチ以降、予選2回目に回った選手の表彰台は男女通じてゼロだった。「つらかった。最低限、結果が残らないと、自分は競技をしてはいけないのではないかというネガティブな気持ち」に追い込まれたが、ジンクスを鮮やかに打ち破った姿が感動的だった。さらに「今度は(表彰台の)真ん中に立ちたいという気持ち」と、新たな4年間への思いも口にした。

 ◆堀島 行真(ほりしま・いくま)1997年(平9)12月11日生まれ、岐阜県池田町出身の24歳。両親の影響で1歳からスキーを始め、岐阜第一高から中京大に進学。13年2月の猪苗代大会でW杯デビューし17年の世界選手権ではモーグルとデュアルモーグルの2冠。18年平昌五輪は11位に終わった。W杯通算11勝は男女通じて日本人最多。今季W杯は9戦全てで表彰台に立っていた。1メートル70、65キロ。

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