ソフトボール “神救援”20歳の後藤を宇津木監督が絶賛「昔の上野に見えてきた」

[ 2021年7月23日 05:30 ]

東京五輪 ソフトボール   日本3ー2メキシコ(8回タイブレーク) ( 2021年7月22日    福島県営あづま球場 )

<日本・メキシコ>ピンチで登板した日本・2番手の後藤(撮影・会津 智海)
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 ソフトボール日本代表は、1次リーグ第2戦のメキシコ戦で、サウスポーの後藤希友(みう、20=トヨタ自動車)が、2回無失点、5奪三振の好救援をした。39歳の誕生日だった上野由岐子(ビックカメラ高崎)が7回に招いた無死一、二塁のピンチを切り抜け、タイブレークに突入した延長8回のサヨナラ勝ちを呼び込んだ。日本はライバル米国とともに開幕2連勝とした。

 代表最年少の20歳、後藤が日本を救った。最終回、上野がメキシコ打線につかまって同点とされ、なおも無死一、二塁のピンチで登板。緊張を上回る強い決意を秘めていた。

 「今日は上野さんの誕生日なので、必ず勝ちをプレゼントしたいと思っていた」

 ポニーテールを揺らし、テンポよく投げ込む。1死後、連続三振でピンチを脱出。無死二塁で始まるタイブレークの延長8回は、ボテボテの内野安打と四球を挟みながらも、3つの三振を奪って無失点で抑えた。その裏のサヨナラを呼んだ。

 球種は直球とチェンジアップのみ。ただし、握力47キロの左手から繰り出すストレートはMAX113キロを誇る。野球における「150キロ以上」とされる110キロを超える上に、不規則によく動く。5奪三振のうちの4つが、“ムービングファストボール”だった。

 上野とは19歳も離れている。日本が金メダルを獲得した08年北京五輪は、小学2年生。まだソフトボールを始める以前で、ピアノに一生懸命だった。

 「AB型で、私、変わってるんです」と自己評価する無頓着な性格で、小4で競技を始め、中2で全国制覇をしながら「五輪に出たいと思わなかった」と無関心だった。それどころか、推薦の話をもらうまでは、「高校でソフトをやるつもりがなかった」と、熱血からはほど遠かった。

 トヨタ自動車入社1年目の19年秋が転機。故障者が出たことで日本代表に招集され「五輪をちゃんと意識するようになった」とようやく本気になった。

 所属チームに米国のエース左腕、アボットがいたことも幸運だった。「試合に向けた体のつくり方、気持ちの切り替え方を学んだ。見て学べるところは盗んでいる」。粗削りだったパフォーマンスが安定し、20年リーグ戦は5勝無敗。五輪の1年延期が追い風になり、急成長を遂げた。

 国際舞台の経験が少ない分、各国のデータ分析網に引っかかっていない。宇津木監督は五輪前に起用は「ワンポイント」と口にしていたが、この日の快投に「昔の上野に見えてきた」と大絶賛。もう立派な守護神だ。

 【後藤 希友(ごとう・みう)】
 ☆生まれとサイズ 2001年(平13)3月2日生まれ、名古屋市出身の20歳。1メートル73の長身左腕。名前は、希友と書いて「みう」と読む。兄の佑友(ゆう)さんも、「友」の字で「う」と読ませる。

 ☆多彩な少女時代 水泳、バスケットボール、テニスの他に冬は家族でスノーボードやスキーにも出掛けた。野立小4年からソフトボールをし、春夏はソフト、秋冬はバスケの二刀流で活躍。年少から小6までピアノも習った。「今も気分転換に弾く」

 ☆球速 小4から投手で、日比野中で開花。中3で105キロ。愛知・東海学園高で110キロに達し、3年夏に全国高校総体で優勝。

 ☆メガネ 試合中の捕手のサインが見づらく、昨年から着用。視力は左右ともに裸眼で0.7。普段は科技学園豊田高で事務職に就く。

 ▽タイブレーク 延長戦の早期決着のため、走者を置いて攻撃を始めるルール。7回制のソフトボールは7回終了時に同点の場合、8回表からタイブレークとなる。無死二塁でスタートし、打順は前の回から継続して二塁走者は先頭打者の前打者が務める。裏も同様に行い、勝敗が決まるまで続ける。東京五輪では野球もタイブレークを採用しているが、10回から無死一、二塁で始める。また、高校野球では13回から無死一、二塁となる。

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