長嶋茂雄氏 昨夏なら不可能だった聖火ランナーを王氏、松井氏と務める 闘う姿が五輪との縁結ぶ

[ 2021年7月23日 23:39 ]

聖火ランナーとして登場した(左から)王貞治氏、長嶋茂雄氏、松井秀喜氏(ロイター)

 東京五輪開会式で長嶋茂雄氏(85=巨人終身名誉監督)が盟友の王貞治氏(81=ソフトバンク球団会長)、愛弟子の松井秀喜氏(47=元巨人、ヤンキース)とともに聖火ランナーを務めた。日本スポーツ界の象徴的な存在の3氏。特に長嶋氏は野球日本代表監督だった04年アテネ五輪は本大会直前に脳梗塞で倒れ、本番で指揮を執れなかった。あれから17年。五輪の舞台を踏みしめた長嶋氏の姿こそ東京五輪の大きなメッセージだった。

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 夢の舞台を、ついに踏みしめた。聖火台にともる五輪の灯。観衆はいない。でも、興奮は抑えられない。長嶋氏は万感の思いで聖火を見つめていた。

 思えば17年前。長嶋氏は日本代表監督として五輪の舞台に立つはずだった。金メダルを懸けた戦いに臨む直前の04年3月。脳梗塞で倒れた。一時は命も危ぶまれ、「寝たきりになるかもしれない」とまで言われた。そんな状態でも、長嶋氏は病床で「アテネに行きたい」と訴えてギリギリまで現地での指揮を望んだ。だが、早期回復は叶わずアテネ行きを断念、チームも銅メダルに終わった。それでも五輪への思い、野球への情熱は少しも薄れることはなかった。

 それからだ。現場復帰へ凄まじいリハビリに取り組んだ。右手と右足に麻痺が残り、言語能力にも影響が出ていた。「1ミリでも動くようにするんだ」と言って、大の大人が泣いて止めてしまうようなメニューをひたむきにこなし、巨人の宮崎キャンプを訪れ、球場にも度々足を運ぶまで回復。16年リオデジャネイロ五輪後には、20年東京五輪での聖火ランナーの有力候補に挙げられていた。

 長嶋氏と五輪には運命的な縁がある。実は昨年、東京五輪が予定通り行われたら、開会式に参加できる状態ではなかった。体調を崩し、夏場はちょうど療養中。コロナ禍で東京五輪が延期となったことで、この日を迎えることができた。リハビリを再開したのは昨秋から。都内の自宅地下室にある歩行練習用のマシンを利用し、食事面も減塩食などカロリーに気を使った。

 長嶋氏は常に戦ってきた。選手として、監督として。そして今もなお「人生」というグラウンドで戦い続けている。以前「なぜそこまでできるのか?」の問いに、長嶋氏はこう答えている。「諦めた人生なんて面白くないじゃないですか」。どんなに苦しくても戦い抜き、どんなに辛くてもゴールを目指す。最後まで諦めない――。それこそ長嶋氏の聖火ランナーとしてのメッセージだった。

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