キヨピー 「好き」と言うのが恥ずかしい私 でも「好き」があるからこそ、人生ごきげんさんです

[ 2023年5月23日 17:24 ]

私の『好き』なものの一つ。風呂敷。他に、ねこ、お風呂が『好き』です
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 【谷口キヨコのごきげん!?SOLOライフ】このコラムは、どうやったらごきげんに生きていけるか、というのがテーマの一つでもあるのですが、振り返ると、最近ぼやきが多いな、と。すみません。ハズカシイ。なので今回は『ごきげん』の話をしましょう。

 この頃感じるのは、ごきげんに生きるための一つのキーワードは『好き』やないんかな、と。人は『好き』に囲まれていると気分良いもんですよね。好きな人、好きなもの、好きな場所…それだけで気分上々、ごきげんさんです。

 で、私の『好き』のお話。「何が好きですか」と聞かれると、なかなかすぐに、はっきりと言えないんですよね、これが。対象が食べ物でも「嫌いなものはないです」という答えになってしまうんですよねぇ。他の『好き』に対する答えも「○○以外は大丈夫です」とか「あえて言うなら○○かなぁ」とか。はっきりと「これが好き!」と言えません。

 ひとに向かって「○○が好きです!」と言うのが恥ずかしいんです、私。その『好き』なもので自分を判断される気がして…。音楽とか趣味みたいなのでも「○○が好き」こそ、その人の物事に対する考え方を表すものだと思うんです。「○○が好き」と言われれば、大概理由を聞きますよね。その理由を聞いて「ほほう、なるほどね」とか「マジ!?そんな理由?」とか思うことめっちゃあります。それぞれの理由がとても面白く、ユニークで…。なかにはどう考えても理解できない、とかもあるのですが長時間話さなくても、何回も会わなくても、お酒飲みに行かなくても(笑い)、その人の本音や、普段は隠されている本質的な何かがそこに現れてくるような気がするのです。

 だから自分がいうのは恥ずかしいの。『好き』なことによって、私が一生懸命隠している薄っぺらな本質がばれちゃうようで恥ずかしいんです。

 でも、それってきっと、誰かが「○○が好き」って言ってるときに、そのものや理由で私がその人を判断してるってことですよね。あぁ、文字化すると私の浅はかぶりが増幅される…こっちの方がよっぽど恥ずかしいです。

 オタクも、少し前までは「好きが行きすぎてる」感じで否定的なニュアンスがありましたが、今では「オタクになれるぐらい好きなものがあってうらやましい」になってきたのでは、と。この『うらやましい』には、人が夢中になれることへの憧れがあるんやないかな、と。『夢中』なんて、字面だけでもすごいですよね。

 要するに、この際『好き』の対象は関係ないんですよ!理由も!それが何であれ、どんな理由であれ、『好き』のパワーには関係ない。だいたい「こんなん好きって言ったらダサいって思われるかな」とか考えてる方がダサい!(私です…)。自分が何かを『好き』ということから生み出されるパワーより、『ひとにどう見られたいか』もしくは『見られたくないか』という気持ちの方が大きいから、それってカッコ良くないぞ、と今更ながら思うのです。

 『好き』のパワーはエネルギーを生み出します。何かをしようとするエネルギー、実際に動くエネルギー。出ました、これまさに元気自家発電!私のモットーである元気自家発電ができるんですよね。『好き』のパワーから自分の元気を自家発電する。『好き』に対する自己中心マインドがあれば間違いなくごきげんになれるんですよね。

 『好き』はエージレスだし、ジェンダーレスです。いつでもどこでも誰にでも持つことができるポジティブな気持ち。長生きするなら『好き』がないと人生つまらないかもしれません。

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