世界的デザイナー・三宅一生さん 肝細胞がんで死去 84歳 ドン小西「“二刀流”の先駆者」

[ 2022年8月10日 05:30 ]

フランス政府からレジオン・ドヌール勲章コマンドールを授与された三宅一生さん=2016年3月、東京都港区の国立新美術館
Photo By 共同

 ファッションブランド「イッセイミヤケ」の創設者で世界的デザイナーの三宅一生(みやけ・いっせい、本名一生=かずなる)さんが5日、肝細胞がんのため都内の病院で死去した。84歳。広島県出身。葬儀は既に行った。故人の遺志により告別式やお別れの会は開かない。

 三宅デザイン事務所によると、三宅さんは亡くなる前まで東京・六本木のデザイン専門施設「21/21デザインサイト」の運営をしていた。デザインのための大まかな資料作りにも励んでいたという。

 多摩美術大を卒業後、渡仏して服飾を学んだ。帰国後の70年、東京で三宅デザイン事務所を設立。「イッセイミヤケ」のデザイナーとして73年にパリコレクションに初参加した。

 平面の布を身体にまとわせる「一枚の布」など、斬新なアイデアでたびたび世界に影響を与えた。とりわけ93年に発表した、布地をひだ状に加工したブランド「プリーツ・プリーズ」は近未来的なデザインでありながら着心地もよく、三宅さんの代表作として世界中で愛されている。米実業家の故スティーブ・ジョブズ氏もイッセイミヤケの愛用者として知られた。

 99年にイッセイミヤケを後進育成のため引き渡した後も「21/21…」の企画運営や、東日本大震災後に東北地方の服飾関連の伝統技術に光を当てる企画展を開催するなど、デザイナーとして生涯現役を貫いた。ファッション関係者は「晩年になっても、デザインの最終チェックだけは必ず自分でやっていた」と振り返った。

 三宅さんは7歳の時に広島で被爆。09年、米国のオバマ元大統領が「核兵器のない世界」を訴えたのを機に、長年の沈黙を破って自らの被爆体験を米ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿した。

 ビートたけし(75)はイッセイミヤケの服を着て漫才をしていたところ、三宅さんのスタッフから「漫才の時は着ないでください」とお願いされたエピソードを、80年代の漫才ブームの頃から何度も面白おかしく振り返っていた。三宅さんも時を同じくして一世を風靡(ふうび)。サントリーウイスキーのCMに出演し、ダンディーな風貌で人気を集めた。

 ▼コシノジュンコ(ファッションデザイナー)一生さんは同級生のような存在で、一緒にパリを目指した仲間だった。私は新人デザイナーの登竜門である装苑賞を最年少の19歳で受賞した。同賞で一生さんは佳作。その悔しさもあって、ずっと頑張れたんだと思う。素顔は孤高だった。彼のデザインには糸や生地を一から作るオリジナリティーがあった。特にプリーツをやり続けたことが大きく、オリジナルになった。これからプリーツを見るたびに一生さんを思い出しますね。

 ▼ドン小西(ファッションデザイナー)森英恵さん、高田賢三さん、山本寛斎さんとともに日本のファッションをつくった重鎮の一人。感性を大切にして衣料品というものを芸術品に変えた。デザイナーとしてだけでなくビジネスマンとして世界に売り込むプランも考え当時はいなかった「二刀流」の先駆者でもあった。

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