石川さゆり 44回目の紅白で12回目の「津軽海峡・冬景色」 「今年の歌として」

[ 2021年12月28日 08:15 ]

大みそかのNHK「紅白歌合戦」で「津軽海峡・冬景色」を歌う石川さゆり
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 【牧 元一の孤人焦点】大みそかのNHK「紅白歌合戦」でヒット曲「津軽海峡・冬景色」を歌う石川さゆり(63)が「みなさんに『日本はいいよね』と思っていただけるように、心晴れやかに新年を迎えていただけるように歌います」と思いを明かした。

 紅白でこの曲を歌うのは12回目。2007年からは「天城越え」と交互に披露し続けて来た。

 「私には他の曲もある、と思った時期もありました。でも、ある時、NHKの方から『除夜の鐘はいきなりチーンとは鳴りません。ずっとゴーンと鳴るんです』と言われ、その言葉に妙に説得力を感じたんです。『津軽海峡・冬景色』か『天城越え』のどちらかを聴いて、最後に『蛍の光』を聴いて、除夜の鐘を聴いて、新年を迎える。それで、みなさんが1年を振り返ってくださったり、いろんなことを感じてくださったりするのであれば、良いのではないかと思うようになりました。私は歌い手として、毎年、『その年の歌』として歌おうと思っています」

 一昨年の「津軽海峡・冬景色」は令和元年の歌として時代の幕開けをイメージした演出で臨み、昨年の「天城越え」は社会現象となったアニメ「鬼滅の刃」の音楽を担当した作曲家とコラボレーションした。

 今年は「津軽海峡・冬景色」の前に、ラッパーのKREVA、ギタリストのMIYAVIをまじえて「火事と喧嘩は江戸の華」を歌う。この曲は昨年2月発売のアルバム「粋~Iki」に収められている。

 「この歌は、東京五輪開催に向けて、私とKREVAさん、亀田誠治さん(音楽プロデューサー・ベーシスト)の3人で作ったもので、MIYAVIさんがギターを弾いています。表現しているのは、日本人の心意気。江戸、明治、大正、昭和、平成、令和と時代が変わっても、日本に脈々と流れているものです。お客さんの前で、KREVAさん、MIYAVIさんと一緒にやるのは初めてで、きっと、盛り上がると思います。そこから、がらりと変わって『津軽海峡・冬景色』に入ってゆきます」

 「津軽海峡・冬景色」は作詞が阿久悠さんで、作曲が三木たかしさん。1976年11月発売のアルバム「花供養~365日恋もよう~」に収められ、翌77年1月にシングル曲として発売された。初めての紅白出場を決めたのがこの曲だった。

 「その頃は18歳で、深いことを考える余裕はありませんでした。あったのは、この歌をみなさんに聴いていただきたいという思いだけでした。メロディーが先に出来ていて、歌詞は初め、最後の『ああ津軽海峡・冬景色』という言葉しかありませんでした。私自身、イントロの音を聴いた時、鳥肌が立つような感動がありました。津軽海峡とはどんな所なのかしら?と思いながらレコーディングしましたが、その後、初めて訪れて、風が冷た過ぎて痛いこと、雪が下から吹き上げられてくることを体験しました。この曲を歌い始めたのが10代で、それから20代、30代、40代、50代、60代と歌い続けきたことが自分でも不思議です」

 紅白出場は44回目で、今回の出場者の中で最多。1983年こそ、出産を目前に歌唱を控えものの、それ以外はずっと出場を続けて来た。

 「私にも1回目がありました。その時、最後に全員で『蛍の光』を歌っていると、先輩が私の手を取って『来年もここに来るんだよ』とささやいてくださったんです。その言葉が忘れられません。今も聞こえてくるようです。1があって、2がある。2があって、3がある。それを積み重ねて、44まで来たのだと思います。時代が変わっても、毎年、大みそかに紅白が行われる。最後に『蛍の光』を歌うと、『みんな、来年も元気でいようね』と思って涙が出ちゃいます」

 変わらずに紅白で「津軽海峡・冬景色」「天城越え」を歌い続けられること。それは自身が歌い手として変化を恐れていないからこそ可能なのだと思われる。昨年はコロナ禍で公演が延期、中止となる中、YouTubeチャンネルを開設。ライブ動画を配信した。そこから派生した小編成メンバーでアコースティックライブを開催するようになり、今年10月には、これまで訪れていなかった沖縄県石垣市での初めてのライブも行った。たゆまぬ変革。それが、石川さゆりの真骨頂だ。

 「なかにし礼先生(作詞家)が亡くなって今月23日で丸1年だったので、先日、奥さまに電話を差し上げたんです。先生が亡くなる前に『さゆりは順調に良い形で年を重ねているから、うれしい』と言ってくださっていたという話をうかがって、とてもうれしかったです。私はやはり、歌で描く日本の情景や人が限りなく好きです。私の歌で、親きょうだいでもない方々が楽しんでくださる、幸せを感じてくださるならば、できる限り歌いたい。『可能な負荷』とでも言いましょうか、自分ができる最大限のことは何かと考えながら、これからも歌ってゆきます」

 来年はデビュー50周年という大きな節目。記念日の3月25日には地元の熊本城ホールでコンサートを行う予定だ。今年以上に激動する1年になりそうで、紅白出場もさらに続くだろう。

 ◆牧 元一(まき・もとかず) 編集局デジタル編集部専門委員。芸能取材歴30年以上。現在は主にテレビやラジオを担当。

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