船越英一郎 厳しかった父・船越英二さん 共演話は固辞、「お前はわしの足元にも及ばん」小言も実は…

[ 2021年9月28日 16:01 ]

船越英一郎
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 俳優の船越英一郎(61)が28日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。07年に死去した父で俳優の船越英二さん(享年84)との思い出を語った。

 1982年、21歳でデビューした英一郎だが、名優だった英二さんは芸能界入りに反対だったとし、「本当に嫌がってましたね。我々の仕事はどこまでもよそさまから頂くお仕事で、不安定だということが身に染みてたと思うんですね」と語った。

 英二さんとは何度か共演の話が持ち上がったが、英一郎から頼み込んでも「お前と一緒だと私は本来の力が出せない。お前が気になって。そんな責任の持てない仕事の仕方はしたくない」と言って断られ続けたという。「せっかく同じ道に進ませてもらったんですけど、一緒にやれることはなかったんですね」と苦笑いした。

 「厳しい人でしたから、褒められるという事はほとんどなかった気がしますね。ただ、母親に聞くと、『必ず見てるわよ』って言ってくれるんですけれども」と英一郎。京都の撮影所で互いにレギュラー出演していた番組の撮影があった際には誘われて食事に行くこともあったが、ずっと小言を言われていた。コメディータッチの芝居をした時は「本当にお前はわしの足元にも及ばんな。恥ずかしい」と言われたことも。「怒られたというより、教えていただいてたんでしょうね。懐かしいですね」としみじみと話した。

 父と同じ役に挑戦したこともあった。「何とか父親と。共演が叶わないなら、同じ役をやらせてもらうというのは、この道を志したものの特権だと思いまして」と16年のドラマ「黒い十人の女」(日本テレビ系)では、英二さんが61年に出演した映画版と同じ風松吉役を熱演した。「作品はコメディーにして、フワフワっとやらせていただいたんですけれども、父の背中は遠くなるばかりで、近づくことはないんだなというのを思い知らされた気がします」と語った。

 幼い頃は英二さんは東京で仕事をし、自身は湯河原で育ったこともあり、「2週間に一回帰ってきて、短い時間を過ごすみたいなすれ違いの生活だったんですけど。父親が帰ってくるのが憂うつで。厳しい人でしたからね」と回顧。「テレビのホームドラマで父親を見て、『こんな人が父親だったらどんなにいいだろう』と思ったくらい」と笑わせたが、「でも厳しくしつけてもらえたおかげでね、何とか」と続けた。

 父から教わったことには座右の銘「初心忘れず 己を知り 易(やす)きを務む」を挙げた。初心忘れず、人の意見を聞く耳を持ち自分自身を知り、基本をおろそかにしないといった意味だとし、「人生はこの3つが基本だよっていうことを教わりました」と英一郎。若い頃は分からなかったのではと聞かれると、「分かりませんでした。仕事をしてしばらくして、この言葉の持つ奥行きと言いますか、奥深さと言いますかを味わうことになりますね」と振りかえった。

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