木内監督死去 89歳、肺がんで…「マジック」で高校野球沸かせた 取手二、常総学院率いて甲子園3度V

[ 2020年11月25日 05:30 ]

80歳まで監督を続けた木内さん
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 高校野球で茨城の取手二、常総学院の監督として春夏通算3度の甲子園優勝を果たした木内幸男(きうち・ゆきお)さんが24日午後7時5分、肺がんのため茨城県取手市の病院で死去した。89歳だった。茨城県出身。葬儀・告別式は30日の予定で喪主は娘婿の岡田誠(おかだ・まこと)氏。選手一人一人の能力を引き出し、大胆な用兵や戦法が「木内マジック」と呼ばれ、高校野球ファンを魅了した名監督だった。 

 名将は娘夫婦ら家族に見守られ、静かに天国へ旅立った。「木内マジック」で甲子園を沸かせ、高校野球界に一時代を築いた木内さん。89歳を迎えた今年は体調が優れず、食欲が落ちた9月に病院の検査で肺がんが見つかった。医師からは治療を勧められたが、木内さんは「やり残したことはない。もう十分だ」と言って一切の治療を拒否したという。

 10月末、取手市内の病院に入院する直前。コロナ禍のため入院すると面会ができなくなるため、教え子の仁志敏久氏(DeNA2軍監督)、島田直也氏(常総学院監督)らが自宅を訪れた。これが最後になることが分かっていたようで、笑顔で言葉をかけたという。

 木内さんは03年夏の甲子園で優勝後、軽い脳梗塞になり、病院の検査で腎臓がんが見つかった。「いいことがあると、代わりに体が悪くなるんだよ」。手術を受けて回復し、再び監督に復帰して80歳まで指導。退任後「何も悔いることはない。いい人生だった」と話していたように、心から満足して人生の幕を下ろした。

 そんな名将は大舞台で何度も奇跡を起こした。生まれも育ちも茨城。大胆に相手の意表を突く用兵と、おなじみの「茨城弁」で愛された。2度の夏の甲子園優勝は、いずれも下馬評を覆した。84年夏決勝は桑田、清原擁するPL学園を延長戦の末に撃破。03年夏決勝は東北のダルビッシュを打ち崩した。

 「マジックなんて言われっけど、要は弱者の兵法。力のない者がどう強いチームに勝つか。それには子供たちの力を最大限出してやるしかなかっぺ」

 右足を痛めていたダルビッシュにバント攻撃をせずに、強打で攻略した。ダルビッシュが準決勝後に「決勝は完投します」と宣言したのを聞き「完投するならどこかで力を抜く。抜くならスライダー。それを狙え」と指示。長打で攻略して頂点へと導いた。

 土浦一卒業後、後輩のために進学せずコーチとなり、指導者人生が始まった。取手二、常総学院を通じ教員免許は取得せず、事実上のプロ監督を全うした。茨城勢過去3度の甲子園優勝は、いずれも木内監督。仁志氏、島田氏や日本ハムの金子誠コーチら薫陶を受けた教え子たちは数多い。名将の遺伝子は脈々と引き継がれていく。

 ◆木内 幸男(きうち・ゆきお)1931年(昭6)7月12日生まれ、茨城県土浦市出身。土浦一で外野手として活躍し、卒業後も指導を続け53年に監督就任。57年に取手二へ。84年夏に初の全国制覇。同年秋に常総学院の監督に就任し、01年センバツで優勝。03年夏の日本一を花道に一度勇退したが、07年に復帰。11年夏を最後に現場を退いた。甲子園に春7度、夏15度出場し通算40勝は歴代7位。

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