帝京・前田監督 木内幸男氏は「先を読むことに凄くたけている方」明徳義塾・馬淵監督「教育的な監督」

[ 2020年11月25日 05:30 ]

帝京・前田監督
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 高校野球で茨城の取手二、常総学院の監督として春夏通算3度の甲子園優勝を果たした木内幸男(きうち・ゆきお)さんが24日午後7時5分、肺がんのため茨城県取手市の病院で死去した。89歳だった。茨城県出身。選手一人一人の能力を引き出し、大胆な用兵や戦法が「木内マジック」と呼ばれ、高校野球ファンを魅了した名監督だった。

 ▼帝京・前田三夫監督 お会いすると、たくさんのヒントをもらえる。読みがズバズバ当たる。あれがマジック。とにかく先を読むことに凄くたけている方だった。監督を退かれても常総学院へ練習試合に行くと、グラウンドへ来てくれて「前田さんと話したかったんだよハハハ」と出迎えてくださった。うれしかったな。

 一言、一言に味があってヒントになったし勉強になった。夏の大会前にいつも練習試合をお願いしていた。木内さんの評価が聞きたかったから。「今年は弱いなあ」とか「今年は強いんじゃない」とか言ってくださる。

 ウチに芝草(宇宙、現帝京長岡監督)と常総学院に島田(直也、現常総学院監督)君がいた時、沖縄国体で宿舎が一緒になった。そしたら木内さんが「一緒にやっつけたいものがあるから来てくれないか」と言われて「もちろんお手伝いしますよ」と。何事かと思ったら、近くのお店に(キープの)ボトルを入れていて、それをやっつけたかったらしい。

 そんなお人柄が本当に好きでした。思い出は本当に尽きない。本当にショックです。(帝京監督)

 ▼明徳義塾・馬淵史郎監督 えらいウマが合って、好きな監督さんでした。戦術も教えてもらいました。「木内マジック」とか「勝負にこだわる監督」と形容されていたが、教育的な監督だったと思う。昭和を代表する大監督でした。

 ▼智弁和歌山・高嶋仁名誉監督(94年センバツ決勝で常総学院に勝利)初の全国制覇の相手なので印象が強い。選手をうまく操縦し、監督の意図する野球を選手が理解しているから「木内マジック」という野球につながると感じていた。甲子園での対戦は2度でしたが、抽選会場などでお会いするたびに野球の話をさせていただいた。本当に野球が好きな方でした。ご冥福をお祈りいたします。

 ▼中村順司氏(元PL学園監督)桑田、清原の時と春夏連覇が懸かった立浪(和義)の時と、充実している時にいい試合をさせてもらった。いい思い出。木内マジックで選手の起用、交代など、戸惑うところもあった。

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2020年11月25日のニュース