【藤川球児物語(13)】18年ぶりVへ向かうきっかけとなった「9回2死被弾」

[ 2020年11月25日 10:00 ]

03年4月11日の巨人戦で9回2死から登板して後藤に同点3ランを浴びる藤川

 03年4月11日の巨人戦(東京ドーム)で藤川球児が許した後藤孝志の同点3ランの記憶は、バッテリーを組んでいた矢野燿大にも痛烈に残っている。「9回3点差で勝っているところで2アウト、2ストライクから打たれた。あそこから球児の伝説がスタートしたんだと思う」。今年9月1日、藤川の引退を受けて、この場面を思い出に挙げた。

 闘将・星野仙一にとっても、この巨人戦は大きな意味を持った。結果的に延長12回引き分けに終わった試合について、「きょうはオレが悪かった」と選手に対して頭を下げた。9回2死、2ストライクからの藤川投入も含め、自らの継投策の失敗だったと認めたのだ。
 
 チームはこれを分岐点に奮起した。翌12、13日の巨人戦は打線がつながり、快勝。これが18年ぶりのリーグ優勝に向かうきっかけとなった。
 
 だが、藤川にはネクスト・チャンスはなかなか訪れることはなかった。「何とかチームに貢献したい」と4月27日の広島戦(甲子園)から5月21日の広島戦(甲子園)まで7試合リリーフで登板。8イニング1失点と踏ん張った。5月25日のヤクルト戦(松山)で03年初めての先発。上昇ムードに乗りたいマウンドだった。
 
 しかし勝利の女神は振り向かない。2回2死一、二塁から城石憲之に逆転打を許すと、3回にも2安打で1失点、4回も2死から宮出隆自にプロ初本塁打され、4回4失点でKO。「何もないです。反省します」と唇をかみ締めた藤川に、その夜、2軍降格が告げられた。
 
 再び、1軍から声がかかったのは9月14日だった。星野阪神は翌15日に甲子園で18年ぶりのリーグ優勝を決めた。広島戦でサヨナラ勝ちし、マジック対象のヤクルト敗戦で、スタンドは興奮に包まれた。昇格したことで、初めてのビールかけにも参加することができた。優勝決定後の9月19日の巨人戦(東京ドーム)に先発し、5回3安打無失点でプロ2勝目。「ダメなら二度とチャンスはないと思って投げた」と笑顔を見せたが、日本シリーズの出番はなかった。 =敬称略=

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2020年11月25日のニュース