阪神 ドラ1西純矢 始まりは捕手だった

[ 2019年11月13日 08:00 ]

小学2年から5年まで「鈴が峰レッズ」で捕手として活躍した西純矢
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 【最高峰の舞台にトライ(1) 西純矢】阪神が10月17日のドラフト会議で指名した計8選手(育成ドラフト含む)の素顔に迫る『最高峰の舞台にトライ』がきょうからスタート。まずはドラフト1位・西純矢投手(18=創志学園)を4回にわたって紹介する。

 いまどきのワードで表現すれば「純矢バズーカ」か、はたまた「西キャノン」といったところか…。小学2年生で広島の少年野球チーム「鈴が峯レッズ」で野球を始めた純矢の最初のポジションはなんと、ナント、捕手だった。

 「肩には自信があった。セカンド送球とかで盗塁はよく刺していました」

 地肩が強く、5年生の頃には遠投が90メートルにまで伸びた。ちなみに90メートルは高校生でもトップクラスで、小学生ではありえない数字。当然試合では毎回、矢のようなノーバウンド送球で盗塁を阻止するため、次第に相手チームが企図しなくなっていった。

 鈴が峰レッズの阿南崇監督(71)は「何をやるにしても他の子とは頭一つ飛び抜けていた。肩も強かったし、試合前の送球練習を見た相手に“走れない”と思わせるぐらいだった」と証言する。

 なぜ、野球人生のスタートは捕手だったのか? その理由は投手がたくさんいたからというチーム事情だった。それでもメキメキと頭角を表していく。「最初は本気という感じではなかったですけど、高学年になって、少しずつ試合に出るようになってからは結果も出るし、楽しいと感じていました」

 打っても75メートル先のフェンスを越える当たりを連発する非凡さをみせる。パワーも自然とついていた。気がつけば攻守で存在感を示すようになっていた。

 最上級生となった6年生で転機が訪れる。チームの世代交代により、阿南監督から投手を薦められたのだ。当時の最速117キロのスピードボールに、「小学生では見たことがない」と同監督。純矢も「やってみようかな…と。抵抗はなかったです」とすんなりと受け入れた。

 投手として初めて挑んだ試合では制球を乱して毎回のようにピンチを背負ったものの、「何故か打たれなった」と7回を無失点。球種はまだ無い。投げる球はすべて真っすぐだった。のちの阪神のドラフト1位「投手・西純矢」が誕生した瞬間だった。(長谷川 凡記)

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