中日・工藤 背番号が5度変わった“名脇役” 周囲に伝えていた“今季限り”の理由

[ 2018年12月3日 10:00 ]

俊足を武器に4球団を渡り歩いた工藤
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 【決断 ユニホームを脱いだ男たち】「心の衰え」が引き際を決断させた。11月中旬のナゴヤ球場。指導者に転身した中日・工藤は昼食後、次の練習までの合間を縫い、語り出した。

 「去年から引退を考えていて、今年1月には“今季限りで”と周囲に伝えていた。気持ちの維持が難しく、毎年体をつくるのがきつくなってきた」

 与えられた役割は終盤で競った場面での代走や守備固め。できて当たり前とみられ、わずかなミスも許されない。「7、8、9回に行くというのは疲れる。気持ちをキープするのは大変。もう一回、来年も…と考えられなかった」。

 1981年3月生まれで、いわゆる「松坂世代」。弘前実では1年夏に甲子園に出場を果たしたが、横浜高が甲子園大会で春夏連覇を果たした3年時の98年は聖地にたどり着けなかった。今季からチームメートとなった松坂(当時西武)が高卒で華々しくプロ入りしたのとは対照的に、青森大、JR東日本を経て04年ドラフト9巡目で日本ハムに入団。その後、トレードで巨人、ロッテと渡り歩き、1軍出場がなかった13年に戦力外通告を受けた。

 ただ、捨てる神あれば拾う神あり――。12球団合同トライアウトで当時の落合博満ゼネラルマネジャーの目に留まり、中日に加入。俊足を武器に出場機会を増やしていった。14年の現役生活を振り返ると、最後の4球団目だった中日での5年間が一番長かった。「クビになって野球の楽しさを教えてくれたのが中日」と感謝の言葉を口にする。

 与田監督率いる新体制のもと、秋季キャンプからは外野守備走塁コーチとして後進の育成に努めている。37歳の青年指導者は「選手から近すぎても遠すぎても良くない。距離感が大事。選手と会話して心を探りながらやっていきたい」とコミュニケーションの必要性を強く意識する。

 プロ野球人生は、決して花形ではなく脇役だった。背番号は5度も変わり、戦力外通告という厳しい現実にも直面したからこそ「辞めた後悔は全くない」と現役に未練はない。「一緒にやってきた選手たちなので、どれだけ良い選手が出てきてくれるか楽しみ」。名脇役がコーチとして第二の野球人生を歩き始めた。(徳原 麗奈)

 ◆工藤 隆人(くどう・たかひと)1981年(昭56)3月30日生まれ、青森県出身の37歳。弘前実では1年夏に甲子園出場。青森大からJR東日本を経て、04年ドラフト9巡目で日本ハム入団。08年オフに巨人、11年には6月にロッテへトレードで移籍。戦力外を経て14年から中日でプレー。1メートル72、75キロ。左投げ左打ち。

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