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【コラム】戸塚啓

「ナイッシュー」と「ナイストライ」の違い

[ 2013年9月12日 06:00 ]

 ナイスシュート、という言葉が嫌いだ。最近めっきり嫌悪感を覚えるようになった。

 僕が学生時代を過ごした1980年代の部活では、ナイスシュートを省略した「ナイッシュー!」は決まり文句だった。およそ入る可能性のない距離からのシュートでも、至近距離からの決定的な一撃でも、ひとくくりに「ナイッシュー」と言い合っていた。
とりわけ試合開始早々のシュートは、「ナイッシュー」のあとに必ずと言っていいほど「次、次」と付け加えられる。チーム内で共有されていたのは、「まだ時間はたっぷりあるから、次のチャンスを決めよう」という認識だった。

 対戦相手のレベルが上がると、チャンスの数が減っていく。それでも僕らは、相変わらず「ナイッシュー」を連呼していた。薄れゆく記憶を呼び戻すと、「あのシュートが決まっていたら」というシーンがよみがえり、僕とチームメイトはシュートを決め損ねた選手に「ナイッシュー」と声をかけ、「次、次」と叱咤している。

 全国大会出場など夢のまた夢だった僕のチームなら、それでも良かっただろう。「ナイッシュー」と「次、次」は、どこのチームにも浸透しているものだった。僕らだけが例外ではなかったのだ。

 日本代表は、違う。すべてひとくくりで「ナイッシュー」にはならない。

 中長距離のミドルシュートが枠をとらえ、相手守備陣を前へ引き出すことにつながれば、「ナイスシュート」と言ってもいい。だが、決定的なシュートミスは紛れもなく批判の対象となる。

 9月10日に行なわれたガーナ戦なら、23分の清武の決定機逸はチームを苦しめる一因となった。直後に失点を喫したことを考えれば、なおさらクローズアップされてくる。DFラインの背後を突いた動き出しは「ナイストライ」だったが、「ナイッシュー」ではない。

 0-1とされた直後の28分に、本田が迎えた決定機も得点にはつながらなかった。ここで同点に追いついていれば、その後の試合展開はずいぶんと楽になったはずである。

 ストライカーのプレーについて、「10回のうち9回ミスをしても、1回のチャンスを決めれば評価される」と言われる。1対0で勝てば得点者はヒーローになるのだろうが、世界のトップ・オブ・トップ相手のゲームでは、そもそも10回ものチャンスは巡ってこないと考えるべきだ。ガーナ戦で逆転に成功したのも、後半になって相手の運動量が低下したことと無関係でない。

 試合開始早々だからとか、その試合初めてのシュートだからといったエクスキューズが、入り込む余地はない。チャンスを確実に決めなければ、痛い目をみるのは我々なのである。

 日本に決定機を作られてしまった相手は、警報レベルを上げる。同じプレーを許すまいとする。チャンスを逃しているうちに、「次」が訪れる可能性がどんどん目減りしていくのが、世界トップレベルの角逐なのである。(戸塚啓=スポーツライター)

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