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【コラム】戸塚啓

森保一 クラブとは違う五輪代表監督の難しさ

[ 2017年10月16日 13:30 ]

20年東京五輪代表監督就任が決まった森保一氏
Photo By スポニチ

 東京五輪の監督に、森保一氏の就任が決定した。

 五輪代表の監督人事は、08年の北京大会から「Jリーグで実績をあげた日本人監督」という認識で進められてきた。

 北京五輪で采配をふるった反町康治監督は、アルビレックス新潟をJ1へ昇格させ、J1に定着させた。ロンドン五輪でベスト4入りを果たした関塚隆監督は、就任1年目の04年に川崎フロンターレをJ1昇格へ導き、J1で優勝争いを演じるレベルへと押し上げた。攻撃的MFとしてプロになった中村憲剛を、ボランチにコンバートしたのも関塚監督である。

 昨夏のリオ五輪でチームを率いた手倉森誠監督は、就任2年目でベガルタ仙台をJ1へと導き、11年にはJ1リーグ4位、翌12年には同2位と、中堅クラブのベガルタをJ1の上位に躍進させた。監督就任直後の「5年でACLの出場権を獲得する」との公約も実現し、13年を持って退任した。

 森保監督の指導歴は、歴代の監督を上回る。古巣のサンフレッチェ広島を率いた6シーズンで、3度のJ1優勝とクラブW杯3位の成績を残している。

 広島の監督就任に先駆けては、U−20日本代表のコーチを務めた。内田篤人、槙野智章、柏木陽介らが出場した07年のU−20W杯で、吉田靖監督をサポートした。

 実績にスキはない。今年7月に広島の監督を辞任し、フリーの立場にあったことも監督就任を後押しした。

 広島を率いていた当時の森保監督は、3−4−3−とも3−6−1ともとれるシステムを採用した。ミハイロ・ペトロヴィッチ前監督のチームを引き継ぎつつ、守備をソリッドにすることで成果をあげていった。前監督のもとで構築されたシステムに、適材適所で選手を当てはめていった。

 戦術的な引き出しは、もちろん他にもある。オランダ人のハンス・オフトやヴィム・ヤンセン、イングランド出身のスチュワート・バクスターのもとでプレーしてきた経験は、監督となったいまもしっかりと息づいているはずだ。

 トレーニングと試合を繰り返すクラブチームと異なり、代表チームは短期の活動の繰り返しだ。選手の選考にも年齢制限がある。

 チームの中心として期待する選手や招集を見込む選手が、所属クラブでポジションをつかめていないこともある。海外でプレーする選手の招集も、五輪代表監督が頭を悩ませる要素のひとつだ。東京五輪世代では、先のU−20W杯で名を上げた堂安律がオランダ1部のフローニンヘンへ期限付き移籍している。同大会でキャプテンを務めた坂井大将も、ベルギー2部リーグのテゥビズへ期限付き移籍中だ。

 現在行われているU−17W杯で顕著な活躍をした選手が、欧州のクラブにスカウトされる可能性もある。久保建英が将来的にバルセロナへ戻るのかどうかも気になるところだ。

 ユースや五輪は国際Aマッチの枠組みではないため、海外の選手の招集は所属先の許可が必要になる。クラブチームはもちろんフル代表よりも多くの制約があるなかで、ステップ・バイ・ステップを求められるのが五輪代表の監督なのだ。

 サッカー協会から具体的なノルマは明かされていないが、自国開催の五輪である。表彰台に立たなければ、評価はされないだろう。期待の大きさは、重圧に比例する。“ドーハ世代”の新監督をしっかりとサポートすることが、サッカー協会には求められていく。(戸塚啓=スポーツライター)

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