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【コラム】戸塚啓

コパ・アメリカ(南米選手権)に出場したスター選手達をピックアップ

[ 2019年6月20日 13:00 ]

代表ではタイトルを獲得したことのないアルゼンチン代表FWメッシ
Photo By スポニチ

 南米出身の選手が一度は出場したいと願う大会──それが、コパ・アメリカである。

 大会の歴史は宝石箱のようだ。世界のサッカー界を彩ってきたスーパースターが、母国の威信を賭けてぶつかり合ってきた。1990年以降の大会に限定しても、錚々たる顔ぶれが揃う。

 91年大会は、アルゼンチンの新星が国際舞台にデビューした大会である。ガブリエル・バティストゥータだ。まだ国内クラブに所属していた22歳の彼は、90年イタリアW杯準優勝メンバーの快速FWクラウディオ・カニーヒアらとともに、強烈な攻撃陣を形成する。自らは得点王に輝き、イタリアのフィオレンティーナへステップアップしていった。

 バティストゥータに次ぐ得点ランキング2位は、チリのイバン・サモラーノだ。パラグアイのゴールマウスに立っていたのは、ホセ・ルイス・チラベルトである。ふたりはその後も代表のシンボルとなり、世界的な知名度を獲得する。

 93年大会では、南米連盟以外の国が初めて招待された。そのひとつのメキシコは、いきなり準優勝の結果を残す。チームの中心には80年代のレアル・マドリード(スペイン)で得点源となったウーゴ・サンチェスがいて、翌94年のアメリカW杯で脚光を浴びるGKホルヘ・カンポスがいた。

 95年大会では、ウルグアイが4大会ぶりの優勝を飾る。80年代からチームを支えてきた司令塔のエンソ・フランチェスコリ、“ゴールの詩人”の異名を持つルベン・ソサ、エル・ティグレ(虎)と呼ばれたFWダニエル・フォンセカらが揃い踏みし、南米王者への返り咲きを実現した。

 ここから大会は、4年に一度の開催となる。

 ボリビアがホストを務めた97年大会では、優勝したブラジルの”RO-RO”コンビが猛威をふるった。94年W杯得点王のロマーリオと、バルセロナからインテル・ミラノへ移籍する直前のロナウドである。ロナウドは99年大会でも主軸となり、リバウド、ロナウジーニョらとともにチームを頂点へ導く。

 01年大会には優秀なDFが多い。優勝したコロンビアにはインテル・ミラノ(イタリア)にキャリアの大半を捧げたイバン・コルドバがいた。メキシコの最終ラインを支えたラファエル・マルケスは、のちにバルセロナ(スペイン)で数多くのタイトルを獲得することになる。

 ストライカーの華麗な競演となったのは04年大会だ。得点王と大会MVPに輝いたアドリアーノ(ブラジル)、ディエゴ・フォルラン(ウルグアイ)、ハビエル・サビオラ(アルゼンチン)らが観衆を沸かせた。

 07年大会はリオネル・メッシ(アルゼンチン)がコパ・アメリカにデビューした大会だ。チームの核はハビエル・マスチェラーノ、ファン・ロマン・リケルメ、エルナン・クレスポらだったが、メッシも2得点を記録している。

 4年後の11年大会は、ネイマール(ブラジル)がコパ・アメリカに初見参した大会である。もっとも、大会を盛り上げたのはルイス・スアレス、フォルラン(ともにウルグアイ)、パオロ・ゲレーロ(ペルー)、セルヒオ・アグエロ(アルゼンチン)、ラダメル・ファルカオ(コロンビア)らの点取り屋だ。優勝したウルグアイの守備陣には、19年大会にも出場しているGKフェルナンド・ムスレラ、DFマルティン・カセレスの名前もある。

 15年大会は開催国チリが初優勝を飾った。決勝でアルゼンチンをPK戦で退けたチリのスタメンには、先の日本戦に先発した選手が7人も含まれている。14年のブラジルW杯で16強入りしたチームがベースとなり、チリは翌16年の記念大会も制す。コロンビアをベスト4へ導いたハメス・ロドリゲス、初の4強入りを成し遂げた招待国アメリカのクリント・デンプシーらも、16年大会を象徴する選手にあげられる。

 さて、19年大会では誰が主役となり、大会の歴史にその目を刻印するのだろう。(戸塚啓=スポーツライター)

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