<なるほどコラム②>1980年代「コスプレイヤー」を名乗った勇気が生んだコスプレ界の発展【コスプレ図鑑】

[ 2023年6月2日 21:17 ]

<なるほどコラム②>1980年代「コスプレイヤー」を名乗った勇気が生んだコスプレ界の発展
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 令和の今でこそコスプレがひとつのカルチャーとして社会的にも認知されているが、2000年以前はコスプレという趣味に理解も乏しく、さらにコスプレイヤーとなると奇異の目で見られることがあった。最初の「コスプレイヤー」はどこから現れたのだろうか。 COSPLAY MODE

 日本でコスプレイヤーが集まるイベントの前に、コスプレをして現れたのは同人誌の即売会イベントである。同人誌関連イベントの最たるものは、今夏で102回目の開催となるコミックマーケット(通称・コミケ)。1975年に都内の会議室を使って開催されたコミケは、コロナ禍前2019年には4日間で75万人の来場者となった。今では誰もが知るコミケだが、その黎明期とも言われる1980年代に、コミケは晴海の東京国際見本市会場で開催されていた。当時日本最大級の規模である晴海の東京国際見本市会場は、2020年の翌年に開催された東京オリンピック・パラリンピックの選手村が建設された場所。東京モーターショーを始め、数多くの見本市イベントが開催されていた。

 晴海の広いホールに机と椅子が整然と並ぶコミケ会場。机の上には数多くの同人誌が置かれている。そこに「売り子」として座る人たちが、自分たちが販売する同人誌のタイトルにちなんだコスプレをしていた。いくら出来の良い同人誌でも、手にとって立ち読みしてもらえなければ評価もされず、売れることもない。SNSはもとより、一般人がホームページを持つのも難しい時代である。コスプレで目を引きつけ、机の前に来た来場者と交流する。同人誌を売るために、コスプレのクオリティーを上げることは必然であったとも言える。

 最初のコスプレイヤーを限定することはできないが、仲間内で趣味としていたコスプレが、公の場で同人誌を売るために磨かれていったというのは、安直な考えであろうか。しかしながら、コスプレを趣味とする者が「コスプレイヤー」を名乗る時は、少なからず他者に対してのアピールがあるもの。1980年代にそのアピールをしたコスプレイヤーは非常に勇気がいったであろう。コスプレをするのは簡単だが、「コスプレイヤー」を名乗るのは大変であった時代。彼ら彼女らのアピールがあったからこそ、今のコスプレ市場があるのかもしれない。

(COSPLAY MODE編集部 大門 太郎)

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