坂本龍一さん死去 YMOは今年1月に高橋幸宏さんを失ったのに続き… 東洋的テクノで世界席巻

[ 2023年4月2日 21:35 ]

2008年、大勢のファンを前に強い演奏を披露し、声援に応えるHASYMO(ハシモ)の(左から)坂本龍一さん、高橋幸宏さん、細野晴臣
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 「世界のサカモト」と評された音楽家の坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが死去したことが2日、分かった。71歳。東京都出身。

 スポニチ本紙の取材では都内の病院で3月28日に亡くなった。日本における坂本さんのマネジメント会社「キャブ」も認めている。20年6月に直腸がんと診断され、両肺などにも転移しステージ4と公表していた。1980年代に3人組バンド「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)で世界的ヒット曲を生み出した。映画音楽でも知られ、88年には米映画「ラストエンペラー」で米アカデミー作曲賞を日本人で初めて受賞した。晩年はがん闘病が続いたが、最後まで音楽作りに情熱を注いだ。

 1980年代にテクノブームを巻き起こした「YMO」は、1月にドラマーの高橋幸宏さん(享年70)を失ったばかり。その死から3カ月で坂本さんを失い、世界の音楽ファンに与える衝撃は計り知れない。

 YMOは細野晴臣(75)、高橋さん、そして坂本さんの3人で78年に結成。日本に新たな音楽のジャンルを持ち込んだ伝説のグループだった。坂本さんが担当したのは作曲。当時は新鮮だった楽器「シンセサイザー」を大胆に用い、ゲームの“ピコピコ音”などを取り入れた革新的なメロディーで感度の高い音楽ファンの心をつかんだ。

 結成翌年から2年連続で世界ツアーを行い、81年までに8枚のアルバムで100億円を売り上げた。「Behind the Mask」(79年)は故マイケル・ジャクソンさん(享年50)にもカバーされて話題になった。

 音楽性はもちろん“魅せ方”も戦略的だった。飽きやすい日本のポップスファンへの対策として、テレビ出演は控えた。「君に胸キュン。」は芸能と歌謡界をからかうつもりで、アンチテーゼでリリース。売り出し方も「外国人が想像する勝手な日本人像」を逆手に取った。「テクノポリス」に登場する「TOKIO」の音など、海外にはない世界観を作り上げた。

 一方で、坂本さんと細野の間で音楽性の違いが浮き彫りとなり、83年に“散開”。以降も“再生”と称して再結成を繰り返したが「xYMO」「HASYMO」など、2007年開催の世界9都市での同時ライブに出演するまで「YMO」の名義は封印。それでも人気は絶大で、翌84年には28年ぶりに英ロンドン公演を実施した。

 高橋さんは3人の個性を「細野さんは天才、教授(坂本さん)は奇才。僕は凡人で、2人のたいこ持ち。ま、ドラマーだし(笑)」とよく言い表していた。YMOが絶妙なバランスを保ち続けることができたのは高橋さんの存在が大きかった。

 精神的支柱だった高橋さんに続き、坂本さんも旅立ったYMO。「イエローマジック」には、神か悪魔かといった西洋的な感覚ではなく、仏教的な東洋の感覚がなくてはならないという思いがこめられている。メンバーは細野1人となったが、東洋的なサウンドのテクノポップはこれからも世界中のファンの心に響き続ける。

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