あき竹城さん死去に芸能界から哀悼と感謝の声 体育会TVが勝俣が「お母さん…」みの「残念」地元も追悼

[ 2022年12月20日 18:53 ]

「炎の体育会TV」でも活躍した、あき竹城さん
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 女優でタレントのあき竹城(あき・たけじょう)さんが15日、死去した。75歳。山形県米沢市出身。葬儀・告別式は家族葬で行われた。お別れの会の開催予定はないという。

 女優業だけでなく、飾らない人柄と山形弁の明るいトークでバラエティー番組でも人気だったあきさんの突然の悲報に芸能界からも悲しみの声や感謝のコメントが続々と寄せられた。

 近年、あきさんの存在が大きく番組を盛り上げたTBS系「炎の体育会TV」は番組公式ツイッターで「あき竹城さんは番組のお母さん的存在であり応援団長、常にみんなを元気に本気で勇気付けてくれました。本当に感謝しかございません。春日ーー頑張れー!上田くーーん頑張れー!今でもはっきり聞こえてきます 心よりご冥福をお祈り申し上げます」と感謝と哀悼の意をつづった。同番組で共演した石井大裕アナウンサーも「明るい大きな笑い声で、いつも元気を頂いていました。まだ右も左もわからない時に、気さくに話しかけてくださったこと、決して忘れません。あきさんの温かさに触れたこと、それは私の一生の宝物です」と悼んだ。

 山形弁も印象的だったあきさんは日本テレビ系「秘密のケンミンSHOW」でも故郷の魅力を全国にアピール。司会者と県民ゲストとして長い間番組で共演したタレントみのもんたは「残念だ。女優さんという肩書にとらわれず、大きな口を開け、パクパクと名産品の試食もしてくれた。山形弁でのトークも軽妙で、ケンミンSHOWを盛り上げた功労者の一人です」と早すぎる別れを悔やんだ。

 多くのバラエティー番組で共演したタレントの勝俣州和は「あきさんは僕にとってお母さんのような存在でした。旅番組で一緒に旅をする約束をしていましたが叶いませんでした。一緒に温泉に入りたかったです。心よりご冥福をお祈りいたしたす」と生前の約束を明かしながら、あきさんを偲んだ。

 お笑いコンビ「浅草キッド」の玉袋筋太郎も自身のツイッターを更新し「ガキの頃からの理想の女性」とし、「根底にはあなたが流れているんです どこかであなたみたいな女性に会いたくて生きています。あき竹城さんありがとう!」と沈痛の思いをつづった。

 芸能界だけでなく、あきさんが観光親善大使を務める米沢市の中川勝市長は「あき竹城様には長年にわたり、米沢市おしょうしな(米沢の方言で『ありがとう』の意味)観光大使として、テレビ番組ご出演の折など様々な場面で米沢市のPRに多大なご協力をいただきました。今回の訃報に際しては、大変驚いております。これまでのご尽力に対し、感謝申し上げるとともに心よりご冥福をお祈り申し上げます」と追悼コメントを発表した。

 所属事務所によると、あきさんは約2年前から大腸がんを患い闘病していた。所属事務所は「元気なあき竹城でごあいさつしたいと本人の希望もあり、公表せずに治療を続けてまいりましたが、今秋に病状が悪化してしまい、このようなご報告となってしまいました」とした。2020年以降はレギュラー番組を降板していた。葬儀・告別式はすでに家族葬で行われ、お別れの会の開催予定はないという。

 あき 竹城(あき・たけじょう)1947年(昭22)4月4日生まれ、山形県米沢市出身。小学4年生からモダンダンス教室で踊りを学び、中学校卒業後に上京しダンサーデビュー。ヌードダンサーとして活動した後、山形弁を持ち味にしたコメディエンヌとしてテレビ出演を果たす。1977年には東映映画「トラック野郎・度胸一番星」に出演。婦人警官役で、トップレス姿も披露した。「楢山節考」に出演したことで女優としても地位を確立。女優としてだけでなく、明るいキャラクターと山形弁が愛され独自のキャラクターを確立した。

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