エンゼルス・大谷 ライアン以来球団50年ぶり先発投手の三塁打 通算5714Kの剛腕と姿重なる

[ 2022年7月15日 02:30 ]

ア・リーグ   エンゼルス7ー1アストロズ ( 2022年7月13日    アナハイム )

<エンゼルス・アストロズ>6回1死満塁、レンヒーフォの左前打で二走のエンゼルス・大谷は本塁へ(撮影・篠原 岳夫)
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 エンゼルスの大谷が歴史を掘り起こすのはベーブ・ルースだけではない。29試合ぶりに1番で出場した打撃では2回に右翼線へ2点三塁打を放つなど2安打2打点。先発投手が三塁打を放つのは、球団では1972年のノーラン・ライアン以来50年ぶりだ。「EXPRESS」と称された通算324勝の剛球右腕以来という、いかにも二刀流にふさわしい記録だった。

 ライアンが三塁打を放ったのは25歳の若手時代。メッツからエンゼルスにトレードで移籍した1年目、72年6月27日のツインズ戦だった。当時ア・リーグはDH制の導入前最後のシーズン。半世紀の時を超えて新たに名前を刻んだのは、やはり二刀流の大谷だった。

 「自分が投げている時にかかわらず、常に得点圏の走者は還したいと思っている。いい打撃ができて良かった」

 2回に1点を先制し、なお2死一、二塁。チェンジアップが2球続いてボール、空振りの後、3球目の95マイル(約153キロ)直球を叩いた。内角高め。強烈に引っ張られた打球が右翼線で弾む。4試合ぶりの安打で自らを援護する貴重な2点を追加した。6回1死一塁でも今季22度目のマルチ安打となる左前打で好機を拡大。4点追加につなげた。

 大谷とライアン。ともに160キロ超の直球が武器で、奪三振マシンであることも共通項だ。何より「常識を覆す」という点が似ている。当時は速球派で長く現役を続けるケースは極めて異例だったが、ライアンは通算27シーズン、46歳までプレー。投手コーチのトム・ハウス氏とともに考案した、投手のための新たなトレーニング法が功績として知られる。投手には害になると長く信じられていたウエートトレーニングを積極的に取り入れ、特に体の内側のインナーマッスルを鍛える重要性を説いた。いずれも現代野球では常識だ。

 その考えは「ピッチャーズ・バイブル」という本にまとめられ、日本選手を含め世界中の投手に大きな影響を与えた。ライアンが長きにわたる活躍で投手の常識を変えたように、大谷は投打の二刀流として球界の常識を変えている。投げては4試合連続2桁奪三振も球団では77年のライアン以来。大谷が新たな記録を打ち立てるたびに、偉大な先人の名前が次々に登場する。(奥田秀樹通信員)

 ◇ノーラン・ライアン 1947年1月31日生まれ、米テキサス州出身の75歳。65年ドラフト12巡目でメッツに入団。最速163キロの剛速球から「ライアン・エクスプレス(超特急)」の異名をとり、歴代最多の通算5714奪三振をマーク。通算7度のノーヒットノーランも史上最多。エンゼルスで8年、アストロズで9年プレーし、レンジャーズ時代の93年に現役を引退した。99年に殿堂入り。08年2月にレ軍球団社長、11年にCEO(最高経営責任者)に就任し13年限りで退任。その後はア軍のアドバイザーも務めた。通算807試合登板で324勝292敗3セーブ、防御率3.19。右投げ右打ち。

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2022年7月15日のニュース