【センバツの記憶】語り継がれる球児ベスト5

[ 2022年3月19日 08:00 ]

甲子園球場
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 センバツ高校野球がきょう19日甲子園球場で開幕する。過去93回、春の聖地では投打で数多のスターが出現した。その中でも衝撃的なパフォーマンスで全国の野球ファンを夢中にさせた球児「ベスト5」を選出した。

【第5位】香川伸行捕手(浪商)=1979年大会=

 人気漫画のヒーローが早春の甲子園に現れた。3日目の第2試合、大阪の古豪・浪商高校(現大体大浪商)は愛知高校と対戦した。8回、浪商の4番・香川伸行捕手(後に南海)は中堅左へ弾丸ライナーのホームランを打ち込んだ。1メートル70、95キロ。愛称は「ドカベン」。水島新司氏が1972年から週刊少年チャンピオン(秋田書店)で連載していた野球漫画の主人公のニックネームだ。転がるようにダイヤモンドを回るユーモラスな姿で一躍人気者となった。
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【第4位】渡辺智男投手(伊野商)=1985年大会=

 準決勝のPL学園(大阪)対伊野商(高知)。超高校級の大砲・清原和博(後に西武など)エース桑田真澄(後に巨人など)を擁し優勝候補大本命といわれたPL学園が無名の右腕に屈した一戦だ。スーパー怪物・清原に挑んだのは中央球界でほとんど知られていなかった銀縁眼鏡の投手・渡辺だった。2回快速球で三振を奪うと4回にも空振り三振。2点差の8回2死一塁にはMAX146キロの剛速球で見逃し三振。怪物を打ち倒した。スタンドまでも沈黙させた大金星。清原は人目もはばからず号泣した。
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【第3位】松本稔投手(前橋)=1978年大会

 44年前、身長170センチにも満たない球児が奇跡を起こした。第50回大会で前橋(群馬)の松本が1回戦で対戦した比叡山(滋賀)相手に春夏通じて史上初の完全試合を達成した。前橋は群馬屈指の進学校。エース松本は1メートル68と小柄で、前年の秋季関東大会準優勝でも、注目される存在ではなかった。試合時間1時間35分。投球数78。内野ゴロ17、内野飛球2、外野飛球3、三振5。虎の子の1点を守り切った前橋ナイン全員の快挙だった。その日の夜、TBSの人気番組「ザ・ベストテン」で久米宏が「完全試合の快挙」を話題に。宿舎でテレビを観ていたチーム全員が成し遂げたことの大きさを実感したという。
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【第2位】松坂大輔(横浜)=1998年大会=

 「平成の怪物」が甲子園に出現した。大会3日目の第1試合。神奈川・横浜高のエース松坂大輔(後に西武など)が兵庫・報徳学園との2回戦の2回に投じた剛速球。プロ球団スカウトのスピードガンは「150」を表示した。松坂は超高校級と注目されながら甲子園デビューはこの3年生の春だった。報徳を撃破すると、東福岡(福岡)郡山(奈良)を連続完封し、準決勝に進出した。相手は西の横綱・PL学園(大阪)。桑田真澄、清原和博らを育てた名伯楽・中村順司監督の勇退が内定。優勝が至上命題だった名門との死闘となった。2点をリードされる苦しい展開も終盤同点、決勝スクイズで接戦を制し、王手をかけた。決勝では久保康友(後にロッテなど)擁する関大一(大阪)を完封。一気に春の頂点へ駆け上がった。早春の快挙も同年夏の対PL延長17回激闘、ノーヒットノーランの春夏連覇へと続く「松坂伝説」の第1章に過ぎなかった。
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【第1位】江川卓(作新学院)=1973年大会=

 バットにかすっただけで――。甲子園史上最強といわれる怪物が出現したのは高度成長期の終盤、昭和48年の大会初日、開会式直後の第1試合だった。作新学院(栃木)のエース江川卓(後に巨人)は1メートル83、大きなお尻。出場30校中最高のチーム打率・336を誇る優勝候補の北陽(大阪、現関大北陽)を相手に「怪物」のベールを脱いだ。打者の手元で浮き上がる快速球。振っても振ってもバットは空を切った。立ち上がりからいきなり5者連続三振。4回初安打を許したその後も三振、三振、また三振。19奪三振で聖地デビューを飾った。

 1年夏の栃木大会準々決勝の烏山高戦で栃木県高校野球史上初の完全試合を達成して以来「怪物・江川」の名は全国に轟いていた。だが甲子園は遠かった。1年秋の関東大会は1回戦の前橋工(群馬)戦で頭部死球退場。2年夏の栃木大会は準決勝の小山高戦、延長11回サヨナラスクイズで負けた。最上級生の春まで全国のファンにその姿をさらすことはなかった。

 ようやくたどりついた舞台。2回戦は小倉南(福岡)を7回10三振。準々決勝・今治西(愛媛)戦では9回、打者29人で許した安打は1。四球1。三振は20。大会25イニングで49奪三振。メディアは「江川一色」となった。準決勝は「寝違え」の影響もあり試合巧者・広島商の前に敗れたが通算60三振の大会新記録を残した。
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