【藤川球児物語(15)】運命を変えた山口高志コーチとの化学反応

[ 2020年11月27日 10:00 ]

火の玉の生みの親となる山口高志2軍投手コーチ

 新監督に岡田彰布が就任しドラフト1位で鳥谷敬が入団した04年の沖縄キャンプ。5年目を迎えた藤川球児は第1クールで右肩腱板炎を発症し、リタイアした。「チーム内競争に勝てば、1軍でやれるはず」と臨んでいただけに、ショックは大きかった。

 さらに試練は続いた。リハビリを終え、ようやく投げることができるようになった3月下旬の教育リーグ登板後に再び右肩に痛みを感じた。精密検査の結果は、またしても「右肩腱板炎」。再発だった。

 出口が見えなくなった。投球の工夫ならいくらでもできる。だが、肩の痛みは自力で治すことはできない。思うようにならない肩がつらかった。これまでも肩や肘の状態は長続きせず、安定した成績につながっていなかった。そして2月、3月と連続で故障発生。藤川は苦悩した。

 このときだった。野球人生の中で最も悩み、もがいていたときに、一つの言葉に光明を見いだした。「ケガばかりしているのは、フォームに原因があるのと違うか」―。声の主は2軍投手コーチ・山口高志だった。

 「プロ野球で最も速い球を投げた投手」として必ず名前が挙がるのが山口だ。江夏豊も「山口こそ最速の投手だ、と言える時代は間違いなくあった」と認めた存在。スピードガンが普及する前、デジタル表示の数字ではなく、キャッチャーミットを響かせる音でスタンドをうならせた剛球投手だった。

 阪急(現オリックス)入団1年目の75年、広島との日本シリーズ。第1戦、同点の8回1死一、三塁のピンチで登板すると連続三振。第3戦は先発で、7回に1死満塁と攻め立てられたが、監督・上田利治は「ストレートで勝負や」と指示し、これを切り抜け完投。4、5、6戦とリリーフ登板。シリーズ5試合に登板し、阪急を初の日本一に導くとともに、MVPにも輝いた。

 藤川の苦難の時代に、伝説の速球投手が2軍投手コーチにいた。この巡り合わせが化学反応を起こすのだ。 =敬称略=

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