西武・与座海人 プロ3年目でうれしいプロ初勝利!海の日にサブマリン浮上!

[ 2020年7月24日 05:30 ]

パ・リーグ   西武3―2ロッテ ( 2020年7月23日    メットライフ )

<西・ロ>力投する与座(撮影・尾崎 有希)
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 5回で降板し、3―2だった。西武・与座はベンチでひたすら祈った。スコアは最後まで変わらなかった。

 「6回以降は一球一球応援するしかなった。本当にやっとだなという思いが強い。ここまで長かった」。先発5試合目でプロ初勝利。3年目のサブマリンは顔を紅潮させた。

 直球は最速131キロも浮き上がり、90キロ台のカーブとの緩急を駆使した。前回12日のロッテ戦では4回2/3で降板し、あと1死が奪えず勝利を逃した。再昇格して同じ相手と対戦。1点リードの5回無死一塁で「ここを乗り切らないと今後はない」と菅野をシンカーで二ゴロ併殺に仕留め、「鬼門」を突破した。

 1年目の18年オフに右肘内側側副じん帯の再建手術を受けて育成契約になったが、順調に回復して昨オフに支配下選手に復帰。兄弟の絆にも支えられた。

 沖縄出身。名前は海人(かいと)だ。男4兄弟の三男で、長男は央人(30=ひろと)、次男は健人(27=けんと)、四男は巧人(20=たくと)。手術後の19年元日だった。4人は地元・浦添市の母校・前田小の校庭にいた。毎年恒例の与座親族初投げ会。リハビリ中で見守るだけの三男は、兄弟に「今は焦るな」と励まされた。心に響いた。

 健人は言う。「海人には強い運がある。それが将来絶対生きる」。横浜(現DeNA)の宜野湾キャンプを家族で見学した幼少期。与座が金城龍彦と記念撮影すると翌日新聞に掲載された。与座家の新聞デビュー。その運に兄弟は驚いた。野球経験のある4兄弟で唯一甲子園にも出場した。「海人だけいいことが起こる」。与座家の共通認識となった。

 「ボール(記念球)は両親にプレゼントします」。岐阜経大1年時に当時西武の牧田(現楽天)をまねて始めた下手投げ。サブマリン海人は努力を重ね、「海の日」にいいことが起きた。(大木 穂高)

 ▼西武・辻監督(与座について)この1勝が大きいんですよ。これで気持ちが楽になって次に臨んでくれればね。

 ◆与座 海人(よざ・かいと)1995年(平7)9月15日生まれ、沖縄県浦添市出身の24歳。小学1年時に野球を始める。浦添中を経て、沖縄尚学ではサイドスローで3年春夏の甲子園出場。岐阜経大1年時に下手投げに転向。17年ドラフト5位で入団した。球種はカーブ、スライダー、シンカーなど。背番号は31→124→44と変更した。1メートル73、78キロ。右投げ右打ち。

 ▽海の日 95年に制定され、96年に施行された国民の祝日。当初は7月20日だったが、03年に改正された祝日法のハッピーマンデー制度により7月の第3月曜日となった。今年は東京五輪の円滑な準備、運営のために、当初予定されていた開会式前日の23日に特例で移動となった。

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